富野由悠季というと「皆殺しの富野!」というフレーズが有名なためか?
最初の作品は?と聞くと無敵超人ザンボット3を思い出す人が
多いようですが、実際にはチーフ・ディレクターとして前半だけ作品に
携わっていたことを意外と知らないファンも多い。
まあこの辺は超電磁ロボ コン・バトラーV、超電磁マシーンボルテスV
闘将ダイモス、未来ロボ ダルタニアスなどのロボットアニメの名作を
手がけた、長浜忠夫さんの手腕でうまくまとまっているため、
富野氏の思考自体がかき消されてしまっているのですが、
何故勇者ライディーンは富野由悠季氏のテレビアニメ至上
最初の失敗作だったのでしょうか?
その点を掘り下げて分析していきましょう。
目次
・勇者ライディーンは金儲けのために作られた?
・ただ売れるためだけに計算された?デザインと設定
・受け入れられなかった?富野由悠季氏の思考
勇者ライディーンは金儲けのために作られた?
そもそも勇者ライディーンが作られた理由も、当時の社長が東映動画が
マジンガーZを作成して儲かっているから、うちもデカいロボットを
作って儲ければいい!という安易な考えで進んでしまったため、
方針からして褒められるものでも無いと1ファンとして痛感させられる。
しかし社会人としてはその世界で食っていくためには社長命令で
仕方が無いと思える反面!アニメ界のプロであるわけですから、
誰もがみんな「マジンガーZ(ゼット)を超える」ことは必然であった。
当時富野氏も原作者である永井豪さんを意識していたようにマジンガーZだけ
ではなくゲッターロボすら超えるアニメを!と躍起になっていたようですが、
当時はまだロボットアニメ製作は未経験であり、チーフ・ディレクターと
いう立場上、名作であったガンダムシリーズのように自由に出来るもの
ではなかったため、スタッフ全員でいろいろと相談をしての模索から、
マジンガーZには無かった設定を組み込むことで対応したらしい。
それが後々の失敗につながる結果になることも知らずに・・・
ただ売れるためだけに計算されたデザインと設定
勇者ライディーンには社長命令で売れるようにさまざまな工夫がされている。
今でこそ正義カラーは「赤」「白」「青」であることが定義とされて
いますが、これはアニメ製作会社竜の子プロダクション(タツノコプロ)
の設立者であり、科学忍者隊ガッチャマンで有名な作者である、
吉田竜夫さんのアイデアであることを意外と知られていない。
吉田さんが正義はこれらのトリコロールカラー悪は「黒」が鉄板として
いたのも自分のデザインが複雑すぎて区別をつけるためらしいのですが、
結果として正義と悪をイメージつけやすいものとなっている。
富野氏の場合はこのことを市場調査で知ったらしいのですが、
マジンガーZが意外と不評でグレートマジンガーのときには下火に
なっていたのも黒色が主体となっていることが主な要因であり、
これが「悪」としての印象を強めることから子供達には不評だった様子。
そのことを中心に当時人気だった仮面ライダーの変身作用も含め、
「ゴットバード」と呼ばれる鳥形態で体当たりする必殺技を加える
ことで今でも不動の人気となるロボットアニメとなったのでした。
受け入れられなかった?富野由悠季氏の思考
ロボットのデザインも決まりマジンガーZを上回った!
リサーチをすることで視聴者が何を求めているのか?理解出来た!と
躍起になっていたかはわかりませんが、押せ押せムードの状況から、
スプーン曲げで有名なユリ・ゲラーの超常現象ブームも同時に流行って
いた時代ですから、流行りものは売れると思い込んでいた
富野氏としてはこれを取り入れない手はないと思ったのでしょう。
勇者ライディーンの舞台設定は、
1万2000年前にムー帝国を襲った妖魔帝国が再び現代に蘇り、
「悪魔の時代の完成」を目指して活動を開始した。
という設定になったのも前作に携わった「海のトリトン」で使用した
伝奇ロマンが絶賛であったためオカルト性を生かそうとしたのですが、
現実にはここで「待った」がかかってしまいます。
その理由も当時のテレビ会社である社長がオカルトなどの超常現象に対し
徹底批判する流れがあり、上からの圧力がかかってしまったためです。
最初の3話まではスポンサーの了承や他のロボットアニメとの差別化で
独創性のあるアニメとして評価されていたのですが、後から変更になった
プロデューサーからの圧力でオカルト禁止命令が出る始末。
現場では「局の言いなりになるな」という部分と上からは圧力がかかる
ので富野氏は立場上の責任を取ることで26話で降板となってしまった。
このような理由で富野氏のロボットアニメ1作目は失敗作となるのですが、
その時に作成された美形悪役キャラクター「シャーキン」は
起動戦士ガンダムの好敵手「シャア」として見事によみがえり、
監督を引き継いだ長浜忠夫さんの作風は後の作品に生かされているので
失敗も成功の元と笑い飛ばしているのかもしれませんね。
こういった失敗を重ねているからこそ、偉大な作品を残したとなると
大事なのは「くじけず何度でも立ち上がること」では無いでしょうか?