機動戦士ガンダム第8話「戦場は荒野」でようやくカイ・シデン搭乗ガンキャノンが登場することから、劇場版でもこの点をピックアップしてカットされているのですが、実際にはガンダムストーリーの中でも名エピソードであり、戦争は人間同士で行っているもの。
モビルスーツや戦闘機に乗っていてもこの点を忘れてはいけないことを物語っている。
その中でもブライトが立てた作戦とガルマ達の化かし合いや、避難民ペルシア母子と
ジオン軍偵察兵バムロ達から見た戦争など、さまざまな人間ドラマが交錯しているので、
それぞれの状況から、戦争とは何か?を感じ取っていくと、富野由悠季氏の
深い思考がこの作品から読み取れるのかもしれませんね。
目次
・一時休戦?ブライトとガルマ!シャアとの作戦の読み合いの結末は?
・ガンキャノンでカイ・シデン初陣!出撃したものしか理解出来ない恐怖。
・避難民ペルシア母子とジオン軍偵察兵バムロ達から見た戦争とは?
一時休戦?ブライトとガルマ!シャアとの作戦の読み合いの結末は?
機動戦士ガンダム「戦場は荒野」ではガルマの周到な追尾により、上は小型戦闘機ドップの編隊、下は戦闘車輌マゼラ・アタックと、まさに四面楚歌状態で逃げられない場面から、リード大尉と揉めるシーンから始まり、誰もが全員疲弊した状態でどうしようもない。
アニメではリード大尉とブライトが言っていますが、第9話でマチルダがリード中尉といっていますけど・・・筆者の気のせいでしょうか?
そんな中でもブライトはミノフスキースクリーンと呼ばれるミノフスキー粒子のある場所をわざと飛行。誘導ミサイルを使わせないよう自然防御幕を張っていることに、シャアが関心しながら待ち伏せを行い、シャアの作戦に気づいたブライトはガンダムで強行突破と、
懐の読みあいから地味に始まるので本当に子供向けに作成されたのか疑問視してしまう。
そんなときに避難民であるペルシア母子以下、数名が故郷のセントアンジェがあるため、
降ろして欲しいと嘆願すると、ブライトは避難民を降ろすために一時休戦を申し込み、
汎用輸送機「ガンペリー」にガンダムを乗せ、奇襲することで突破口を開く!
そういった作戦を思いついたのでリード大尉の許可を取り、ガルマ包囲網を破ることに。
それに対し、ガルマやシャアも不信に思うが、シャアの意見で、
「敵がどういうつもりか知らんが、こちらも時間が稼げる
足の遅い陸上兵器を今の内に補強すれば」
で勝利の確率が高くなることを見通して、お互いに騙し合いが始まるのですが、シャアの視点では、おぼっちゃん育ちから甘い!で前面に出たホワイトベースとガンキャノン、ガンタンクに引き付けられ、最後には後ろからガンダムに一掃され敗北を期すことになる。
作戦はジオン軍に被弾したと思わせカイがガンペリーの横に爆薬で穴を開け、ガンダムと避難民を乗せて裏側から奇襲させるのですが、シャアはあらかじめそのことを予知しており、前面のホワイトベースしか眼中に無く、作戦の勝利を確信しているガルマの横で、
「これで勝てねば貴様は無能だ」
と見下した感じが、この後の裏切りにつながるかのように心の声で意味深に語っている。
実際に空中にドップ編隊、地上にマゼラアタックとザクの軍勢で周りを囲って完璧だ!と思っていたのですが、後方の敵をガンダムが排除したことで、ホワイトベースは前面に攻撃が集中してしまい、ミサイルでマゼラアタックの軍勢を撃沈!
それと合わせ、操縦士ミライの舵さばきにより、空中のドップと地上のマゼラアタックを同士討ちさせることで統率が乱れ、その隙をガンダムがついて撃沈!
こんな感じで投入したザクも全てガンダムにやられてしまうことで、ガルマの指揮は
完全に無能状態に終わってしまう。
これに関してはシャアがガンペリーの中に戦闘員が潜り込んでいるのでは?ということや、ジオン軍偵察兵バムロ達が操縦するルッグン「ビッグ・ジョン」がガンダムを見つけてしまったので、仕方なく打ち落とした地点で通信が途絶えているのに、肝心のガルマは、
「ははははっ、我々も監視しているんだぞ。できる訳がない」
「パトロールは放っておけ。戦闘開始だ」
と疑いもせずに放置しているのでシャア無能だ!と卑下するのも仕方が無いというもの。
結局、指揮官として無能であると感じさせられたと同時にシャアがそこをついて、
「挽回するチャンスはまだある。それに、我々指揮官は
最前線で士気を鼓舞しなければな。次は私も行かせてもらおう」
とガルマ暗殺のフラグがまた1つ完成しているので、本当の意味での勝利者は
シャアだったのかもしれません。
ガンキャノンでカイ・シデン初陣!出撃したものしか理解出来ない恐怖
第7話でブライトに修正を食らった反省からか?第8話ではカイ・シデンがガンキャノンで初陣しているのですが、実際にはアムロよりもカイのほうが、戦争を行っている一般人としてありがちな部分を、非常にリアルな部分として描かれている。
カイはこれまで冷静に物事を見ながら人の揚げ足を取るように皮肉を言う感じから、ガンダムファンの中でも「嫌な奴」という扱いだったのですが、これもまた臆病者であることを隠す裏返しであり、アムロが一生懸命にガンダムで切り開く部分に触発されている。
そのためこの話では汎用輸送機「ガンペリー」が被弾したように穴を開けたり作業機械のライセンスを持っていたことにより、中距離支援型機であるガンキャノンに乗ることを決意する。
最初はセイラに軽口を叩き、何とか地上に降りたものの、マゼラ・アタックと
ドップに囲まれてしまい、涙目になった状態から、彼が発した最初の一言、
「うわあっ、ね、狙ってやがる」
が戦場に放りこまれた正直な感想であり、戦いに対する恐怖を見事に物語っている。
この地点でもカイは自分の弱さやアムロに負けたくないという意思から、
「お、俺だって、俺だって」
と涙目ながらも両肩のキャノン砲を撃ちまくり何とかしようとする。
性能的にはガンキャノンは接近戦で集中砲火されてもいいように、ガンダム以上に装甲は厚く、よほどのことでないとやられはしないのですが、実際には臆病者に加え、恐怖のほうが
勝ってしまい、第1話のアムロのように、両肩のキャノン砲を無駄撃ちしてしまう。
結局、後ろから来たガンダムに助けられ、カイはいいとこ無しか?と思ったら、後ろから狙われていたザクを突き落としてやっつけるなど、ただでは終わらないという部分でちょっとだけだが成長を見せている。
こんな感じで実際の戦闘の大変さと恐怖をカイの目線で知るほど、いかにしてアムロが大変な思いをしているのか?その点をしっかりと感じられたのであれば、彼の活躍がどうなっていくのか?今後の見所になっていくでしょう。
避難民ペルシア母子とジオン軍偵察兵バムロ達から見た戦争とは?
機動戦士ガンダム第8話「戦場は荒野」がガンダムストーリーの中でも名エピソードと言われるのも、避難民ペルシア母子とジオン軍偵察隊「ビッグ・ジョン」のルッグンバムロ達の目線が戦争は人間同士で行っているものと考えさせることからメッセージ性が強い。
ビッグ・ジョンは最初、ガルマの指示で避難民を乗せたガンペリーが怪しい動きをしないか?確認させる任務につかせるのですが、外からでしか偵察させず、怪しいところもなかったため、帰還する最中に、バムロがペルシア母子の行方が気になり追いかける。
ペルシア母子からすれば敵に狙われた!と思ったので、死んだ夫に祈りながら絶望的な状態を覚悟しますが、実際には食料の入ったカプセルを放出して生き延びるように援助。
敵ながら非常に人間臭く、ペルシア母子が気になりバムロが寄り道しようとした際、
「ガルマ大佐はまだお若い。俺達みたいな者の
気持ちはわからんよ。よし、行くぞ」
と戦争はしているが好んで人殺しをしているわけではない!というメッセージ性が
強い分、正直な意見、あまり敵にはしたくないタイプである。
実際にガンペリーから出てきたガンダムを光の反射で怪しい!と戻ってきた場合でも
補給物資を渡したところを見ているアムロは、ビッグ・ジョンのルッグンに発見された際、
「見つけなけりゃいいのに」
と撃ち落とすのをためらい急所を外して撃ち落としたので、戦争をするのは顔も知らない
恨みもない人もいるということを思い知らされる。
またガルマ軍勢とホワイトベースの戦いでバムロに手当てをしながらペルシアが言った、
「どちらが勝っても負けても、私のように
夫をなくす人がこれからも大勢出るんでしょ」
という言葉が戦争は正しいからするのでは無いということを深く物語っているので
勝とうが負けようが、被害を受けるものが一番悲惨であることを物語っている。
その理由もペルシア母子が最後にいた場所が「セントアンジェ」が一年前にあった場所
だということを、バムロが去り際に教えたことから戦争をすると何も残らなくなる。
そういった強いメッセージ性を富野由悠季氏は語っているのでは無いでしょうか?