無敵超人ザンボット3は切ない戦い!人間爆弾の恐怖が最大のトラウマ

無敵超人ザンボット3は勇者ライディーンを手がけた東北新社の子会社である創映社が
さまざまな不満を元に「サンライズ」として立ち上げた際に作成されたアニメであり、

当時は戦国時代を舞台としたロボットアニメ!として鎧武者や伊達政宗の三日月の兜
をイメージして作られた「ザンボット3」なのですが、現実では想像しなかった悲惨
な出来事の連続から、見たものをトラウマにする出来事が多過ぎるように感じる。


主人公達ザンボット3を操縦するものは当時流行っていた「睡眠学習」で意図的に
操縦を覚えさせられ戦いに対しての恐怖を感じないよう教育されている
ようですが、

何故これらがトラウマにつながる話となってしまったのでしょうか?

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目次

・無敵超人ザンボット3は切ない戦いの連続だった。
・人間爆弾の恐怖!皆殺しの富野の誕生。
・最終回は涙無くして語れない悲劇。

無敵超人ザンボット3は切ない戦いの連続だった

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ザンボット3というと子供時代に見た感想としては「切ない戦いの連続!」と表現しても
いいように、戦うことを求められていないような感覚しかなかったように思える。


この理由も地球を支配しようとするガイゾックから守ろうとする設定でありながらも
地球を守るはずのザンボット3が迫害されているシーンが多かったためである。


ザンボット3がいるからガイゾック達が攻めてくるんだ!!


守っているはずの人々にそう蔑められ、厄介者としか見られない主人公達に子供ながら
やりきれない怒りを覚えたのもこのアニメが後にも先にも初めてだと痛感させられる。


視聴者がこう思えるのも富野由悠季氏の策略であり、

「周囲に被害を与えてしまう主人公」「市民に迫害される主人公」「善悪逆転の構図」

こういった点を追加したことで異質なものになったのですが、結果としてトラウマに
つながるような悲惨な出来事になるとは想像が付かなかったのかもしれません。

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人間爆弾の恐怖!皆殺しの富野の誕生。

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ザンボット3のロボット設定は子供達に売れるデザインであることはもちろん作画での
苦労やおもちゃにしたときのコストを考え、超電磁ロボ コン・バトラーVや超電磁マシ
ーン ボルテスVなどの5体合体に対抗して、ゲッターロボと同じく3体合体にした。


主人公である勝平が乗る「サンボエース」は小型戦闘機から小型ロボット形態でライフル
を持って暴れる設定、宇宙太が乗る「ザンブル」は戦車形態で援護砲撃!ザンボット3に
なると陣羽織風の胴体となる独特の形態。

恵子が乗る「ザンベース」は飛行形態でありながら水中も潜れ、ザンボット3時には
腰から脚全体と背中のブースターになるよう、工夫して作成されている。


これによりヒットは確実!と思ったようですが、富野氏による戦争のリアルさや戦いに
よる理不尽さを織り込んでしまったがため、「アニメは子供が見るもの!」と思われて
いる世界観で子供が思う理想と放送された現実に食い違いが起こってしまいました。


それがリアルを求めすぎた故の犠牲者の続出と人間爆弾の恐怖である。

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従来のロボットアニメは正義のロボットが侵略する敵を倒すことで世界が救われる。


そういった設定が多かったのですが、ザンボット3の場合、戦えば戦うほど人や
住んでいる町に被害が及び、業火に焼かれ名前のある人物もどんどんと死んでいく。


そのため人々は地球を侵略するガイゾックよりもザンボット3を扱う神ファミリーを
忌み嫌うようになり、だんだんと敵視するようになってしまうので、一体どちらが
正義なのか?視聴者としても混乱をきたし、わからなくなってしまう。

そこにどどめ!と言わんばかりにガイゾックに捕虜になった人間に改造手術で爆弾を
埋め込められ、いつ爆発するのか?わからない恐怖を見せ付けられるので、今の時代
なら間違いなく放送禁止!となるのは言うまでも無いでしょう。


その光景は今でもザンボット3のエンデイングを見るたびに悲しさがこみ上げますから。


特に主人公勝平の友達であった少女アキが部屋で一人で爆発するシーンや敵対していた
ガキ大将!香月の悪友の一人、浜本が両親の名を泣き叫びながら死ぬシーンはトラウマ
としかないので、ジワジワと命を削られるようにキャラが減ってしまうこと自体が、

皆殺しの富野」というファンの言葉で恐怖の対象として語りつくされるのです。

最終回は涙無くして語れない悲劇

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友達が死に仲間や親族が死んでいくという展開に悲惨としか思えないストーリー展開。


ここまでの戦いでザンボット3は心身共にボロボロ!それでもまだガイゾックの首領
であるブッチャーやガイゾックが生きているので戦わないといけないのですが、

ここでもまた宇宙太と恵子が死ぬという悲惨な光景が繰り返されてしまいます。


ストーリーをいうとネタバレとなるのであまり多くは語りませんが、戦うたびに大事な
ものを失っていくむなしさが怒涛のように押し寄せるので子供ながらに何故そのような
展開を書いたのか?
当時は怒りを越して悲しささえこみ上げて来ました。


そんな感覚から大人になって数十年になるのですが、ザンボット3で言いたかった
ことは「戦争は良くも悪くも犠牲が伴ってしまい、正義も悪も無い!」と冷静に
結論付けることになるかもしれませんが、

これがまた伝説巨人イデオンや聖戦士ダンバインへと受け継がれるため
皆殺しの富野のあだ名は消えることの無いトラウマでしょう。

レクタングル(大)
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