∀ガンダム(ターンエーガンダム)は富野由悠季氏復活と共に制作会社が「サンライズ」となった記念すべき地上波、第1作品目のガンダムであり、往年のガンダムファンからは完全全否定され、新規でガンダムを見た人には絶賛と富野氏らしい作品である。
ストーリ設定も月の民であるムーンレィスが地球に帰るために先行調査員として主人公
ロラン・セアックが地球人に成りすましお互いに和平出来るように人々と関係性を2年ほど
築くのですが、月の女王の軍・ディアナ・カウンターが地球人に攻撃してしまうことで、
「ホワイトドール」と呼ばれる神像の中に眠っていた∀ガンダムがその攻撃に反応!
結果としてムーンレィスに対応するために作られた市営軍「ミリシャ」も過剰反応して
しまい、そこからお互いにけん制しあいながら戦いが流れていくというよくある設定。
富野作品としては珍しく50話と1年近く放送され、いろんな意味でも話題作となっているのですが、これもまた突っ込みどころが多い設定や、∀ガンダムがテーマとしている部分から、受け入れられたものとそうでないものに分断されたのだと思えてくる。
では何故、このような結果となってしまったのか?この点を中心に∀ガンダムの
疑問視する部分をいろいろと分析をしていきましょう。
目次
・∀ガンダム(ターンエーガンダム)のファン評価が賛否両論となる理由。
・∀ガンダムの中の黒歴史で富野由悠季は何が言いたかったのか?
・シド・ミードが∀ガンダムのデザインに携わることになった理由。
・∀ガンダムで富野氏が視聴者に伝えたかった大切な部分とは?
∀ガンダム(ターンエーガンダム)のファン評価が賛否両論となる理由。
今でもガンダムファンが∀ガンダムを見るほど「あれはガンダムではない!」と懸念したり中には「見る気が失せた!やはり機動戦士ガンダムと機動戦士Zガンダム以外は邪道!」と語る人がいるのですが、
この理由もガンダムとして設定された∀ガンダム自体と、∀ガンダムでテーマとしている
富野由悠季氏の思考からしっくりこないからであろう。
何故ならば∀ガンダムは富野氏が目指していたテーマとして、
過去に作られた「ガンダム」と名の付くすべての作品を
全否定かつ全肯定する作品を目指したものである。
ため数学や論理学などで「全ての~」という意味で否定かつ肯定をする意味が「∀」なので従来のガンダムファンがウケる要素でもなく、全てをひっくるめて原点に返ることをテーマとしているため、しっくりくるもこないも無いというわけです。
感覚としては過去の悪い部分を否定しながらそれを受け入れ、未来に対しどういったことを残していけばいいか?そういった部分を∀ガンダムでは描写しているため、従来の戦争をテーマにして、憎しみやエゴイズムなど個人の主張でのいがみ合いを期待するほど、
これってガンダムと違うんだけど!富野由悠季の考えていることが
わからん!面白くないから見るのや~めた!!
となってしまうのですが、富野氏が∀ガンダムで語っている部分は、
「地球に住む人類と、宇宙に進出したコロニーや月に住む人類
との幾多にも及ぶ戦争は、どういう結末を迎えたのか?」
という部分であり、ブレンパワードで得た人間描写を生かしがら、人が死ぬ戦闘シーンをなるべく避け、それぞれの生き方や立場、考え方を重視した構成にすることで、自分達の未来をどう生き抜いていくのか?この点を感じられないと面白くないと思える。
特に主人公ロラン・セアックはガンダム系でも珍しく温和で平和主義の性格から、∀ガンダムで戦いながらも平和的解決を求めるシーンが多かったのですが、これもまた富野氏の、
人の死はもういい!大事なのはその先にある未来をお互いどう築くかだ!
と言っているような感覚が強いため、食わず嫌いで見ていたガンダムファンほど
今一度この点を見定めながら見てみると面白さが見出せると思いますよ。
∀ガンダムの中の黒歴史で富野由悠季は何が言いたかったのか?
∀ガンダムは個性的な人間ドラマを交えながら、月の民であるムーンレィスと市営軍ミリシャを和解させるために、主人公ロランが間に入って説得したり、月の女王ディアナ・ソレルそっくりのハイム家長女、キエル・ハイムが女王と入れ替わり和解のために行動をするなど、
悲惨な戦闘よりも政治的かつ人間の思考といった描写が多いため、若草物語のような名作劇場を見るような感覚が強いのですが、19世紀のヨーロッパ文明が残るアメリカをモデルとしており、それぞれの新大陸での再出発を未来の人生としてイメージしたためである。
またこのような設定にしたのも富野氏が語るように、
「人の動きが狭いところには落ちていなくて、いつも
ゆったりと風が吹いているようなところがある」
という感覚から自由気ままな社会構想として、予想出来ない部分を自然に受け入れることで、人として自然に生きていくことを描写しているように筆者はそう感じている。
また富野氏は∀ガンダムの後半で出てくる「黒歴史」のことを、
太古の宇宙文明時代に永きに渡って繰り返されていた
数々の宇宙戦争の歴史の総称。
と位置づけており、ロラン達の世界は黒歴史による大災害から復興した数千年余り経過した時間から、文明や生活レベルを取り戻した物語のため、これまでのガンダムとは全く違う違和感と否定的な描写がふんだんに盛り込まれている。
これもまた機動戦士Vガンダムまでに感じた人の業による残虐な戦争が歴史にも心にも優しくないむなしい結果でしかない!ということを世界観の違いから、ガンダムを見たことが無い人からファンまで「戦争の先にある未来」を伝えたかったのだと思えるのですが、
現実にはシド・ミード氏が∀ガンダムのデザインに携わったことでおもちゃも売れず
スポンサーであるバンダイも商業的不振と終わったので、これが本当に成功だったのか?
富野由悠季以外は全くといっていいほどわからない結末なのかもしれません。
シド・ミードが∀ガンダムのデザインに携わることになった理由
ガンダムシリーズのモビルスーツは今までは大河原さんやZガンダムやエルガイムで携わった永野さんなど、精鋭のデザイナーが行っていたのですが、本作品だけは何故かシド・ミードという謎の外国人が行っているので、これが原因で売れなかった!
受け入れられなかったとガンダムファンでは有名であり、実際におもちゃやプラモデルでも
シリーズ上最低の売り上げでしたので、ファンなら「何故?」と感じる部分であろう。
シド・ミード氏の功績を見ると工業デザインの分野を中心にブレードランナー、スタートレックと言った有名映画のデザインを初め、YAMATO2520の18代ヤマトや機動戦士Ζガンダムの構想段階で番組宣伝用ポスターにガンダムMKⅡを描くなどで注目されたことや、
富野氏の「全ての否定と肯定」という部分を工業的に行うデザインが欲しかったため、
ガンダムファンから全否定されることが見えている中で斬新に革命を起こしてくれる
デザインがシド・ミード氏以上のものが無かったためと語っている。
この点に関しても富野氏は、
「僕がガンダムのメカ・ファンだったら∀は承認しない。
そんなことはわかっている」
と断言しており、作品の中でも不細工だ!とキャラが言うセリフがあるように自覚していたのですが、同時はハリー・オード中尉が搭乗していたスモー(以下の絵)をガンダムとしていたので、流石にそれはイメージと違う!と却下したエピソードが残っている。
不細工!と言い切るほどのものなら普通ならおもちゃ会社でスポンサーのバンダイが売れないから!と却下すると思われますが、あえてOKにしたのも、機動武闘伝Gガンダムや新世紀エヴァンゲリオンの独創的なデザインが売れないと思っていたのに売れたために、
∀ガンダムでもひょっとして・・・という錯覚から無謀にもGOサインが出たらしい。
デザインに対する詳細は長くなるため、劇場版 ∀ガンダム I 地球光II 月光蝶で語ることにしますが、流石の富野氏も最初に見たときには戸惑ったらしいので、いろんな意味で斬新さをかもし出した、シド・ミード氏は恐るべき存在だったのかもしれません。
∀ガンダムで富野氏が視聴者に伝えたかった大切な部分とは?
今回もあまりネタバレしないように伝えたのでファンでないほど何を言っているのか?
理解出来ない部分があると思いますが、∀ガンダムで富野氏が視聴者に伝えたかった大事な
部分は、戦争で死んでいく憎しみやむなしさ、人としての自己主張よりも、未来に対し、
今を精一杯生きていくことに対し、何を感じるのか?
この点を未来ある子供達にしっかりと考えて欲しい!と富野氏は訴えているのだろう。
この理由も作品を見るほど、戦争での悲惨な描写を避け、身分や立場、環境が違っても
人間味のある描写で未来を生きることに徹底している作風が多いためです。
そのために黒歴史という部分を、過去のガンダムとして戦争を否定しながら、あやまちとして肯定し、この先どう生きていくのか?を描いているのですが、等身大の人間模様を不器用ながらに描いている∀ガンダムはガンダムファンほど食わず嫌いはもったいない!
その証拠に作品に出てくるキャラクターの大半が月の民と地球人とのカップルで未来に向かって生きていく様が最終回で描かれているのですが、人生を折り返した筆者の目線でも、
∀ガンダムの世界観は生きることへの意味と未来のガンダムシリーズへのメッセージが
詰まっているため、この点がGのレコンギスタに繋がっているのでは無いでしょうか?