機動戦士ガンダムΖΖ(ダブルゼータ)は機動戦士Ζガンダムの直後に発生した第一次
ネオ・ジオンの抗争を描いた物語。富野由悠季氏の思考では「原点に戻ることを意識した」
とあり主人公を14歳の少年ジュドー・アーシタ。
その他のキャラも全員子供という、ガンダム作品としてはある意味「異質」でありながら、
戦争や抗争に没頭する大人達に対する強いメッセージとして、
子供はみんなニュータイプ!見せてやろうじゃないの! 大人たちにさ!
というスローガンを打ち出したのですが、前半が明るくコミカルな設定から、ガンダムファンに受け入れられずファン離れが加速していった失敗が大きくなっている。
それ以外にも大人の事情でいろいろとトラブルが発生したようなのですが、富野由悠季氏は
この作品で一体何が言いたかったのでしょうか?これらを中心にお話したいと思います。
目次
・子供全員ニュータイプ?その深い意味とΖΖガンダムの世界観。
・以外と難航?ΖΖガンダムの複雑すぎたデザイン設定。
・機動戦士ガンダムΖΖに旧型MSの敵が異常というくらい多い理由。
・機動戦士ガンダムΖΖの評価による富野由悠季の苦悩と思考。
子供全員ニュータイプ?その深い意味とΖΖガンダムの世界観
機動戦士ガンダムΖΖは機動戦士Ζガンダムの直後にハマーン以下Ζガンダムでも出演した
ネオ・ジオンが敵なので、アムロやジャアなどが出てくるのでは?と当時はそう思われて
いたのですが、結果として「機動戦士ガンダム逆襲のシャア」が決まっていたことや、
富野氏の「暗い展開や浄化、排泄などが無い展開」ということで前回の主役キャラは脇に
おいて、たくましく生きる少年少女の視点で明るい展開のガンダムを目指したらしい。
そのため、展開構成としてギャグ要素が強かったり、主人公であるジュドーが能天気なのも
こういった思想が原因なのですが、そういったおちゃらけた中でも主要キャラである少年
少女は全てニュータイプであり、この点に富野氏の深い意味が隠されている。
今でこそ富野氏は「ニュータイプ論はアイデアとして失敗だった!」と述べているが、
当時ではアムロがニュータイプであることをマチルダがエスパー(超能力者)ということを言ったように、当時では画期的だ!と思っていたようなので、ニュータイプに関する概念は肯定と否定の間で葛藤する感覚が同時に発生していることが大きい。
このような理由からファンや専門家の間でも「世代論」でないことは明白になっている。
またニュータイプが13歳~17歳くらいに多いのも、このころは思春期であり感性が鋭い割に不安定であることから、人の思念や憎悪、混沌など鋭く感じることが大きいことから、作品の中でも未来を見通すように、固執した大人と違った感覚として描いている。
ガンダムの世界観では兵器として人よりも先に読む能力や強い脳波で操る「サイコミュ」や
不思議な力で相手を倒すことがファンの間でもニュータイプだと思われていますが、
実際には誰とでも意思疎通をする存在であり、相互理解が可能と富野氏はそう考えているので、機動戦士ガンダムΖΖで少年少女全てをニュータイプにしたのも、エゴイズムや憎しみ
から抜け出せず、戦争の中で自分を主張することしか考えない大人に対して、
子供の目線でしかわからない最後のメッセージだったのかもしれません。
以外と難航?ΖΖガンダムの複雑すぎたデザイン設定
ガンダムシリーズには「機動戦士ガンダム○○」など何かしら主人公が搭乗するモビルスーツ(以下MSと呼称)が出てくるのですが、ΖΖガンダムは機動戦士ΖΖガンダムでなく機動戦士ガンダムΖΖとなっているので、子供心に何故?と思った経験があります。
また主人公ジュドーが妹を山の手であるお金持ち学校への学費のためにΖガンダムを盗むのですが、ここからも第11話までΖΖガンダムが出てこないので、ファンの間でも一体いつ
出てくるのか?やきもきしていたのですが、これもまた大人の事情により遅れたのが、
最大の原因となっているので、この点をお話したほうが納得がいくと思える。
当初ΖΖガンダムの制作はスポンサーであるバンダイからΖガンダムの中盤くらいでオファーが来ていたため、早急に準備をしており、Ζガンダムのデザインに携わった永野護さんが行ったのですが、いざ、合体変形機構を実現させようとすると不可能なことが判明!
このデザインは月刊ニュータイプなどでも報告されていたのですが、おもちゃやプラモデルに出来ないと意味が無いため、時間の無い中、デザインが出来る人を探した結果、機動戦士Ζガンダムで可変MSバウンド・ドックやガザCをデザインした小林誠さんに決定。
締め切り2週間というギリギリの中で、富野氏の原点に帰るという意味からRX78ガンダムにGアーマーを合体させた変形機構を盛り込み、頭部にハイメガ粒子砲を最強の位置づけで付けたことでΖΖガンダムがようやく完成したというわけです。
それでも細かい設定で実現不可能な部分があったため、調整しているうちに第11話までもつれ込み、登場時もΖガンダムでは限界!と思わせて、乗り換え時にはΖガンダムの10倍以上!と思わせる劇的な登場だったのですが、これもまた富野氏とスタッフ一同の、
めちゃめちゃ苦労させやがって!という感情がマシュマー搭乗のハンマ・ハンマをやっつけるときにこもっているのかもしれませんね。
機動戦士ガンダムΖΖに旧型MSの敵が異常というくらい多い理由
機動戦士ガンダムΖΖでは主人公ジュドー達一同、Ζガンダムで使われていたMSが主要キャラ達にリメイクされる意味で使われていたり、一年戦争時代からの次世代機を改良して使っていたりと、何かしら古めかしい印象が強いのですが、この理由も大人の都合や、
視聴者への対応が主な要因なので、この点もファンとしては知りたいところである。
作品内容からの展開では、アクシスに住んでいたネオ・ジオンはティターンズとエゥーゴが互いに疲弊した間に奇襲をかけるため、情報遮断からジオン軍にあったMSの次世代機として運用していることで、ゲルググの次世代機でリゲルグを親衛隊のイリアが乗ったり、
一年戦争が終わっていないと思っていた砂漠地帯のジオン軍「ロンメル隊」も情報が一切来ないことからドムの次世代機であるドワッジやその改良型が多かった。
このように次世代機の改良型が多くなったのも、おちゃらけた少年少女が主要キャラであったことで視聴率がどんどんと低迷していき、中盤になる頃には最悪の状態になってしまったことが大きな原因である。
僕の周りにも「機動戦士ガンダムΖΖは何かなじめない」と見ることをあきらめた友人もいましたので、これが理由で途中から大人の理不尽な意見に対し真っ直ぐな感情をぶつけるというシリアス路線に変更せざえるを得なくなってしまった。
こういった傾向から、従来のガンダムファンが食いつきそうな旧型MSの進化系を生みながら、スポンサーに負担がかからないよう金型の一部を変えるだけで済むように、リファインタイプのMSをたくさん出し最小限の負担で最大の成果を生み出そうとしたのですが、
一度離れたファンは二度と戻ってこず、何と無く中途半端な出来で終わったのです。
機動戦士ガンダムΖΖの評価による富野由悠季の苦悩と思考
富野氏としては少年少女達を新しいニュータイプとして今の大人達に何が足りないのか?
それを形にしたかったように思えるのですが、前作である機動戦士Ζガンダムの思念や構想でファンになった人からは「これはガンダムではない!」と苦情殺到!
ファンのために思念を曲げてまで軌道修正してしまったため、伝えるべき部分が出来なかったところが何と無く言いたいことが言い切れず、中途半端に終わった点であろう。
これもまた機動戦士Ζガンダムで取られた7年後の主人公達という観念やニュータイプへの
思想があまりにも衝撃的だったことからの、路線変更であったため、従来のファンからは、
「何となく違うんだけど!」と受け入れられなかった結論に過ぎないのですが、
これもまたガンダムとしての1つの作品として表現したかったために、ファンに理解されなかった思想が富野氏にとっては最大の苦悩だったのかもしれません。