一般的に「ロボットアニメ」というと「悪」という
存在が地球を侵略するため、「正義」という存在が、
それを守ることが当たり前でありそれがカッコいい!
どの作品もそんな風に思っていました。
しかし富野由悠季氏が監督・監修するアニメはどれもが
洗練されながら、心の奥底を突き破るように違っていました。
僕の場合、子供心ながら違和感や反抗心さえ感じ、
いつの間にかそのことを追求するために
ひきこまれる自分がいたように思えたのでした。
目次
・富野由悠季という異質な存在。
・富野由悠季氏の作品は苦労してもがく人生のようだ。
・あくまでも一個人の主張に過ぎない。
富野由悠季という異質な存在
僕に取って富野由悠季(とみのよしゆき)氏は「異質な存在」であることを認識している。
この理由も昔はアニメは子供が見るもの!という定義だった部分を力づくでぶち壊し、
根底から僕の定義であった「正義」「悪」そのものをぶち壊していったからである。
また富野氏はその異質さからか?「富野節」とか
「トミノイズム」と呼ばれる独特の名言を生み出しており、
そこから生まれる言葉はキャラクターの名言や本人の代名詞のように
主張していることから、子供心にインパクトを与えられたものである。
特に僕が衝撃を受けたのがこの言葉である。
アニメを見るな
アニメに携わっている人間が何を?と最初は不思議にしか思えなかったのですが、
この言葉にも富野氏が描いてきた人生の中での経験がふんだんに
刻まれているので、この点からして異質さを拭うことは出来ない。
この理由も富野由悠季氏が作品を生み出して来た背景から
もがき描いた人生のようにも思えたからです。
富野由悠季氏の作品は苦労してもがく人生のようだ
機動戦士ガンダム、伝説巨神イデオン、戦闘メカザブングル、重戦機エルガイム
機動戦士Ζガンダム、新しくはガンダム Gのレコンギスタなどなど、
賛否両論を受けながら数々の名作、偉作を生み出した富野由悠季氏は意外かな
自分のことを凡人であることを毎回のように語っている。
そのことがレッテルのようになっているのか?どの作品を見ても主人公の
家庭環境が悪かったりひねくれた性格が多いようにも思えるのですが、
この点も富野氏が抱える劣等感から、
人生に失敗は付き物だ!そこからどう向かい合うか
が重要だ!という教訓を練りこんでいるように感じる。
何せ富野節と呼ばれる名言でも、
僕は才能がない人間の最たるものだから、「できない自分が
なんとかいっぱしになるためにはどうすればいいか?」と
ずっと考えてきたんです。その結果たどり着いた結論は、「飽きずにコツコツしかない」
ということだった。だから誰よりも多く、誰よりも早く
絵コンテを切るよう自分に課したんです。[富野由悠季の名言|才能がない人間がいっぱしになるにはより]
と常に努力を惜しまない思考で作品に取り組んでいるからです。
僕がこう断言出来るのも富野作品の一部には、大人でも1回では理解しづらい
シーンがあったり人が死ぬ過ぎて見るに絶えないシーンがあったりと、
リアルさを追求するが故に受け取る側の思考が理解出来なかったという
部分が大きいためです。
このようなことで富野氏は才能だけでなく数々の失敗からくる
経験やさまざまな面から見る思考を重ねた結果。
名作、奇作といったものを作成していったように思えるので作品を
生み出す過程自体が何かしら「人生」のように感じるのです。
あくまでも一個人の主張に過ぎない
だからといって富野氏の作品と僕の感想がどうつながるのか?
所詮感想なんて一個人の主観であり自己満足の一環に過ぎないのですが、
大事なのはそこから何を感じるのか?あなた自身が何を感じどう考えるのか?
僕はこの点に重要さを感じると思っています。
今後僕はさまざまな富野作品を分析しては辛口で批評や共感したり
するのかもしれませんが、「アニメを見るな」という言葉はアニメ好きの
僕からすれば作成しているのに理不尽だ!と思える点があることから、
富野氏の思考を僕が感じた点としてこのブログに残したいと思えたのが
正直な部分かもしれません。
また僕自身あくまで一個人であり一個人としてしか意見が言えませんので、
正しい間違いという枠で考えるとあなたに取っては間違いとなる点の
ほうが多くなるかもしれません。
異才であり異質な富野由悠季氏に
どれだけ食い込んで分析出来るか?
自信はこれっぽっちもありませんが楽しく読めるよう努力致しますので
暇なら読んでやるか!くらいの軽い感覚で読んでいただけると幸いです。
大人のロボットアニメ!トミノイズムを
よろしくお願い致します。
ブログ管理人:ゼロス☆クラウド