機動戦士ガンダム 逆襲のシャアの話が難解なのはある登場人物が原因?

機動戦士ガンダム 逆襲のシャアは、機動戦士ガンダムからおよそ14年後、つまり機動戦士
ガンダムΖΖの5年後のお話であり、赤い彗星であるシャア・アズナブルがジオン共和国創始者
ジオン・ズム・ダイクンの息子としてネオ・ジオンを掲げ地球連邦に反乱する。


そのために小惑星5th(フィフス)ルナを地球のチベットのラサに衝突させ、最後には小惑星アクシズを地球に落とそうとたくらみますが、それを阻止するため、エゥーゴやカラバを中心に構成された、反地球連邦政府活動取り締まり部隊「ロンド・ベル」に所属する、

アムロ・レイと戦艦ラ・カイラムの指揮官ブライト・ノアを筆頭にシャアの野望を阻止するため、立場や思想をぶつけながらアクシスの落下を防ぐというものですが、何故かしらストーリー展開を見れば見るほど、理解しづらい構造になっている。


この理由もある登場人物が原因だ!と思われるのですが、その点を含め
何故このようなストーリー展開になったのか?その点についてお話致します。

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目次

・機動戦士ガンダム 逆襲のシャアは何故ストーリーが理解しづらいのか?
・アムロVSシャア!ニュータイプ同士の戦いは何が言いたかったのか?
・機動戦士ガンダム 逆襲のシャアのMSは何故シンプルなものが多いのか。
・機動戦士ガンダム 逆襲のシャアに秘められた富野由悠季の思考と願い。

機動戦士ガンダム 逆襲のシャアは何故ストーリーが理解しづらいのか?

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機動戦士ガンダム 逆襲のシャアのストーリーは簡単に説明すると、アムロとシャアの物語に
決着をつけることである。
この点については富野由悠季氏も公表しており、そのための描写と
して表現されているようなのですが、見るたびに何故こんなに理解しづらいのか?

大人になった今でもそう思える部分が多いため単なる決着なのに!と疑問視してしまう。


逆襲のシャアのストーリーを大まかに分析すると、

・ネオ・ジオンが小惑星5th(フィフス)ルナを地球に落とす。
・ロンド・ベルも阻止するが間に合わずチベットに落ちてしまう。
・ネオ・ジオンが小惑星5thルナを落としたのもアクシズを手に入れるため。
・そのために一時停戦、ネオ・ジオンが売買契約でアクシズを手に入れる。
・ネオ・ジオンが地球へアクシズを落下させる宣言をする。
・アクシズを地球に落とさせないようロンド・ベルは核ミサイルや内部から破壊。
・その間にアムロVSシャアの戦いが並行して進む。
・アクシズの落下が止まらずアムロ搭乗のν(ニュー)ガンダムが奇跡的に阻止。


若干ネタバレとなってしまいましたが、こういった流れで進むので2~3回も見ればわかるはず!これをあえて理解させないというか理解しづらいことにしているのもある登場人物の存在が、自然とそうさせているのだと思えて仕方が無い。

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それが「クェス・パラヤ」というニュータイプの13歳の少女です。


クェスはニュータイプ特有の感受性の強さから、他人の感情を敏感に読み取ってしまう。


私生活では父の後妻と関係が感性の違いからかうまくいかず、父もクェスに関心が無いことから、寂しさを紛らわせるため、気を惹くためにわがままな面々が強くなっていく。

アムロ達との出会いは隕石落としで地球が危ないため宇宙に上がり、小惑星5thルナ襲撃時に戦火に巻き込まれ、ロンド・ベルに保護されるのですが、感性でアムロを父親として惹かれ、それを受け入れないため、今度は偶然出会ったシャアに乗り換えする。


これもまた自分に対し相手がどう関係してくるのか?


こういった点を本能で察知することから他人からは奇怪な行動だと思われてしまい
受け入れない人ほど相手を敵視して知らないうちに錯乱状態となってしまう。


このような設定にしたのもアムロの年齢は29歳、シャアの年齢は34歳と普通ならば娘を持ってもおかしくない設定でしたので、クェスに対する大人の反応を冨野氏は描きたかったと思えるのですが、僕がこう言えるのも冨野氏のキャタクター思考で、

「親子、兄弟姉妹、身内同士であっても決して理解し合えるわけではない」


とあるため、この点の理不尽さをクェスを通して描きたかったのだと感じている。


しかし現実にはアムロの底の浅さから父親的存在になれずシャアに至っては戦争の道具として利用しようとしたため、視聴者には不甲斐ない存在としか認識されなかったのです。

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アムロVSシャア!ニュータイプ同士の戦いは何が言いたかったのか?

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機動戦士ガンダム 逆襲のシャアを単純分析すれば、一年戦争からわだかまりが溜まって来た
アムロVSシャアの決着を冨野氏の解釈で描いているのですが、ニュータイプというものを
通してぶつかり合っていることから、エゴイズム(利己主義)で動いており、


思想をぶつけるほど、何かしら傲慢でさもしい人間性を引き出しているように感じる。


そう思えてしまうのも「完全決着」という視点で嘘偽りない正直な思考を描いているために、互いが互いに疑問を投げかけ、思想をぶつけ合うのですが、その行為を「人類の革新」と
してテーマを掲げ、剥き出しになる感情を抑えるように論理的に演じようとする。


この点は冨野氏がこだわる哲学から来ているのだと思えますが、


シャアがクワトロ・バジーナとしてΖガンダムで述べていた、

「私が手を下さなくてニュータイプへの覚醒で人類は変わる。その時を待つ」


という地点ではアムロも同様な考えのためここでは仲間として結託をしたのだと思える。


結局、仲間として戦っていたものの、人類がいつまで経っても革新せずに、業を背負いながら私利私欲に走ってしまうために、シャアは地球を潰す事で人類を革新へと追い込もうとする部分を「逆襲のシャア」として描いたのですが、これもまた人が持つ業の深さから、


アムロVSシャアの再来が「完全決着」という視点で来てしまったのかもしれません。

機動戦士ガンダム 逆襲のシャアのMSは何故シンプルなものが多いのか

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機動戦士ガンダム 逆襲のシャアのモビルスーツ(以下MSと呼称)は20~22mと初期の
ガンダムより4~5mは大きいものの、初期同様、シンプルな形態であることが大きな特徴で
あることに驚かされる。


メカニックやMSの動きなど細部にこだわっている点が大きいのですが、14年の歳月が経過しているのに、可変や合体MSでなく、BWS(バック・ウエポン・システム)のような使い捨てパックや、ダミー、ファンネルといったニュータイプ独自の思念で動く、

サイコミュ兵器くらいに留め、ジェガンやギラ・ドーガなど次世代機の延長となっているのですが、これもまたΖガンダムやΖΖガンダムで散々おもちゃやプラモデル化に苦労をさせられたからに他ならない。


またアムロとシャアの完全決着として、当時のガンダムVSシャア専用ザクを印象付けるには、そこからの後継機であり、ファンが納得をする機体でないと評価が得られないために
お互いが歩んできた道の中で最高の機体となっている。


そのためアムロが搭乗するνガンダムはΖΖガンダムまでのガンダムのデータを総合化。


シャアが搭乗するサザビーはジオンMSからの進化流用であるリック・ディアスのモノアイをベースに感受性や反応速度を上げるサイコミュを埋め込むために、ギラ・ドーガを大型化とそれぞれが歩んできた技術革新でよい部分を総合して納得させていますが、

現実の戦いでは因縁を晴らすために、地味な展開となることが多く、新しい兵器であるνガンダムのフィン・ファンネルもサザビーの高出力ファンネルで相殺化。


結局はお互いに感情剥き出しのエゴイズムをぶつける泥臭い戦いとなってしまうのです。

機動戦士ガンダム 逆襲のシャアに秘められた富野由悠季の思考と願い

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富野由悠季は機動戦士ガンダム 逆襲のシャアについてはこう述べている。

「この作品は35歳以上の方に、特に男性の方に見てもらいたい」


この理由は人類の革新を待てずにアクシズを落とすことで、浄化からの革新を求めるシャアと、人の革新をじっくりと待ち方向性を修正すべきであることを求めるアムロとのズレを同じ年代になった視聴者にどう感じるのか?を見定めて欲しいからにすぎない。


また互いを理解しようという「人の革新としてのニュータイプ」も大事な部分である。


これ以上語るとネタバレになるので、その詳細はアクシズを止める際に戦いながら討論するアムロとシャアの言動やアクシズが落ちる際の場面を見ていただいたほうがわかると思えるのですが、冨野氏がこの作品でいいたかったことは、アムロVSシャアだけでなく、


人が持つ可能性や思いやり、考え方というのは
本当に地球を守ることが出来るのか?


こういった部分をそれぞれのキャラの不恰好で未熟な思考として通していることから
冨野氏は35歳以上になった父親の観点から見て欲しかったのだと思います。

レクタングル(大)
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