機動戦士ガンダムF91(エフきゅうじゅういち)は地球から月までの軌道に設置された
移住区「スペースコロニー」を地球連邦政府が管理。
長年の支配制度で腐敗していることに不満を持っていたマイッツァー・ロナが国家「コスモ・バビロニア」を独立宣言して主人公の少年シーブック・アノーのいる「フロンティアIV」を
襲撃するシーンから流されるようにガンダムF91のパイロットになってしまう。
富野由悠季氏の作品の中でも今後のテーマのような形で戦火が繰り広げられる様子や逃げ惑う人の描写が圧巻な作風のために、日本アニメ大賞・最優秀作品賞まで受賞する出来栄えでガンダムファンからも賞賛を浴びている作品の一つであるようなのですが、
これもまた富野氏のしっかりとした策略が受賞や賞賛につながっているのだと思える。
では何故このような絶賛作品となっているのか?この点を中心に機動戦士ガンダムF91の
世界観を紐解いていくことにしましょう。
目次
・日本アニメ大賞・最優秀作品賞は機動戦士ガンダムF91の戦略だった?
・従来のガンダムよりもリアル?機動戦士ガンダムF91は何が違うのか。
・機動戦士ガンダムF91のMSが15m級と小型化した理由と作成事情。
・富野由悠季が作品を通してファンに言いたかったことは?
日本アニメ大賞・最優秀作品賞は機動戦士ガンダムF91の戦略だった?
今でも機動戦士ガンダムF91の感想を見るほど、
「見どころが多く人として考えさせられる部分が大きい。」
「コロニー襲撃シーンにリアリティがあり戦争の悲惨さを考えさえられる。」
「要所で演出、描写、演技が秀逸!ラストシーンは感動でしかない。」
という絶賛コメントが多いのですが、これもまた富野氏の策略だ!と僕はそう感じている。
この理由も機動戦士ガンダムF91を制作するとき、当初は連続TVアニメとして考えていた
ようなのですが、その際に「わかりやすさ」を重点に置きながら、身近なテーマである、
家族の問題を描いているため、初めてガンダム作品を見る人にも以外と理解しやすい。
またスタッフも機動戦士ガンダムに携わった当時のスタッフが中心であり、その際に受けるか受けないかのデータに基づきながら作品を手がけているので売れない理由は無い。
そのためか?機動戦士ガンダムF91の作風を分析するほど、
・主人公は誰でも理解出来るよう「ヒーロー(英雄)」を意識した正義感あるもの。
・ヒロインのセシリーも感情移入しやすいように美人でありながら人間味を持たせる。
・「家族論」や主人公とセシリーの「愛」というわかりやすいテーマを掲げた。
・アムロやシャアとは違う意味でシーブックの活躍が楽しく見られた。
ことを中心にコロニーで逃げ惑い、理不尽な状況で死んでいく人の描写や、地球連邦軍の
現場での腐敗しきった部分、コスモ・バビロニアが何故貴族主義で独立をしたのかなど、
今までのガンダムの表現を含ませながら、また違った表現を体感だけで理解出来るようにしているので、ファンだけでなく、初めて見る人でも高確率で何かしらの印象を得られる。
僕の感覚では新しいガンダムを生み出そうとしながら、どこかしら昔の過ちを正すための富野氏のメッセージに思えるのですが、それ以上に富野氏独特の癖のあるキャラクターのセリフがマニアックさを生むように要所に散りばめられているため、この点を楽しめる限り、
日本アニメ大賞・最優秀作品賞を受賞したのは当然の結果なのかもしれません。
従来のガンダムよりもリアル?機動戦士ガンダムF91は何が違うのか。
機動戦士ガンダムF91を毎回見るほど、あまりのリアルさに一瞬!目を覆いたくなるシーンもありますが、グロいというわけでも無いのに何故かそう思わせる部分が多々ある。
この理由も富野氏の狙った演出であり、
「子供が生のリアルさを失いつつあるのではないか」
という疑念が生じたため、戦争で逃げ惑う人をリアルに描く際、見ず知らずの泣いている子供をつれて一緒に逃げたり、目の前で友人があっさり死んだりと、やるせない不甲斐無さを出しているのですが、それ以上に「バグ」と呼ばれる円盤型の小型機体が人間だけを殺す。
容赦無く切り刻んでいくシーンはもはや恐怖でしかないのですがこれも富野氏の、
「機動戦士ガンダム、機動戦士Ζガンダムで使用した
毒ガスより直接的な痛みを感じさせるものが欲しい」
という提案から考慮されているのである意味、黒富野として戦争の怖さを物語っている。
その他、応戦する地球連邦軍のモビルスーツ(以下、MSと呼称)がコスモ・バビロニアのエリート軍隊「クロスボーン・バンガード」にあっさりやられ、やられた機体が民間人を巻き込んで火の海や死亡者を増やしてしまう。
シーブックが成り行きで搭乗させられたガンダムF91の必殺武器「ヴェスパー」はクロスボーン・バンガードのMS3機をあっさり貫通してやっつけるなど、戦争への恐怖心を知らないうちに植えつける富野描写は、今後の作風にも使われていることから、
「人は、いつ戦争を忘れることができるのか?」
というキャッチコピー通り、戦争の恐怖とむなしさを体感で伝えたかったのかもしれません。
機動戦士ガンダムF91のMSが15m級と小型化した理由と作成事情
機動戦士ガンダムF91の世界設定では数々の大型MSの製造からの財政難からMSのエンジン部分であるジェネレータの小型化に成功したことから、平均20~22mが多い中、
ガンダムF91や侵略してきたクロスボーン・バンガードのMSは15m級と5mも縮んだのですが、本音は大人の事情でありバンダイのおもちゃやプラモデルのコストダウンが大きな要因である。
この理由も同じスケールの人間とジオラマを作成した場合に、セルガ画構成のしやすさが
あったため、この点を考慮すると同時に、スポンサーの負担を考えた結果なのですが、
それ以上に、当時人気だったF1ブームにあやかり、マクラーレンホンダを意識した
「フォーミラー計画」として小型化計画が進行したことにして、見事に便乗しているので
この後に続く機動戦士Vガンダム以降にも小型化MSの傾向が影響している。
実際には当時の技術では18m級で1/144を13cmにして作成するだけでもかなりの
技術を使うのに、15m級では10cm前後となってしまうことから、技術面で1/100が
主体となってしまい、1/100の定番だった色が付いたプラモデル(略して色プラ)
これがスタンダートとなったため制作側としては無駄に割高となってしまった。
このことが響いたのか?模型ファンには「高すぎる!」と不満続出!映像としても人間との比較差があまりわからないということで、あまり意味が無かったのでは?とガンダムファンからもささやかれているのですが、富野氏の思考ではもっと小さい10m級だったので、
ガンダムF91が10mだったら・・・思ったよりも評価は無かったのかもしれません。
富野由悠季が作品を通してファンに言いたかったことは?
あまりネタバレすると面白みがないため、なるべく伏せたまま分析しましたが
富野由悠季が機動戦士ガンダムF91で言いたかったことは、最初から一貫して、
「人は、いつ戦争を忘れることができるのか?」
のキャッチコピーをわかりやすく表現することに徹したことに他ならない。
主人公シーブックの設定が「正義感」という受け入れやすい設定のためや宇宙に漂流してしまったヒロイン、セシリーを探すためにガンダムF91のバイオセンサーとニュータイプ能力を駆使し助け出すシーンから「愛」を思わせるのかもしれませんが、富野氏の思考から、
それはあくまでも過程であり結果としては戦争のむなしさや恐怖を知って欲しい。
このことをテーマに見たときの感覚や気持ちを素直に受け入れる構成にしている。
このようなことを戦火に巻き込まれながら、シーブックとセシリーは生き別れ、避難した
地球連邦軍の宇宙練習艦スペース・アークに放置されていたガンダムF91に応戦。
セシリーはクロスボーン・バンガードにさらわれ、自分の正体がマイッツァー・ロナの孫であるベラ・ロナであることを知らされながら、戦火でシーブックと対決するなど、戦争に対する理不尽さや、どうしようもない流れを富野節で強く語っている。
確かにお約束とも思えるすれ違いや憎悪といった感情も見られ、中盤からはかなり急展開ではありますが、戦争では英雄だ!と思われるMSも、コロニーを守るために、実弾を撃ちながら巨大な薬きょうを振りまかれては、周りにいる人には迷惑以上に恐怖でしかない。
特に人間はMSからすれば小さくか弱い生き物であるため、逃げ惑う人の中で身動き出来ない状況から、戦火や弾が飛んでくるとなると・・・あまりのリアルさにありえる!と思える描写をふんだんに盛り込んだ機動戦士ガンダムF91は体感から戦争を知って欲しかった。
そういった富野由悠季氏のメッセージがところどころに刻まれている作品だと思います。