OVERMAN(オーバーマン)キングゲイナーは富野作品のTVアニメシリーズで人が
ほとんど死なないアニメということから機動戦士Vガンダム以前の作品を悲惨そのものと
して黒富野と表現したのに対し「白富野」と呼ばれる作風として注目されたものである。
またファンの間でも「一歩踏み出す勇気、希望」を貰えるアニメとしてうつ病から改善した
人もいることから、こんな楽しいアニメがあるのか?と密かに評判となっていたのですが、
これもまた富野由悠季氏総監督ということで計算された策略とテーマによって見る人を
魅了する点が多いので、ファンとしてもその点を見逃すことは出来ないと思えてくる。
では一体どんな点が見逃せないのか?今回もキングゲイナーの秘密や疑問点を
中心にいろいろと分析していくことにしましょう。
目次
・見ても聞いても印象に残る?キングゲイナーのOP(オープニング)秘密。
・エクソダスやオーバーマン!独創的なキングゲイナーの世界観とは?
・キングゲイナーのキャラは何故こんなにも人間味あふれるのか?
・OVERMANキングゲイナーで富野由悠季氏が語りたかったこととは?
見ても聞いても印象に残る?キングゲイナーのOP(オープニング)秘密
OVERMAN(オーバーマン)キングゲイナーというと今でも印象的なのが、見ても聞いて
も一発で印象に残るオープニング!アニメファンほどOPと略し、検索することが多いよう
ですが、これもまた富野由悠季氏の目指すライバル思想が生んでいるためである。
実際に富野氏はこの作品のライバルは「クレヨンしんちゃん」と発言しており、
「視聴者が、このアニメというエンターテインメントの
面白さの理解を出来ていないようではいけない」
ということで最初から作品をショーのように捉え、サーカスや遊園地のような奇想天外の
アトラクションのように、楽しませることを重視しているようである。
そのため「マクロス7」の熱気バサラの歌声でおなじみの福山芳樹さんで命の鼓動を印象
させるような、活力ある歌声と共に、富野氏が作詞するときに使うペンネーム井荻麟で
現代風ながらも、主要ロボットを連呼する往年スタイルのオープニングを重視。
機動武闘伝Gガンダムやサクラ大戦TV、勇者王ガオガイガーなど数々の有名アニメの音楽
を手がけた田中公平さんの手腕で、元気でミュージカル風なキャラの動作や、アナ姫以下
一列になってのモンキーダンスなどやりたいように演出して期待度を引き出している。
中でもサビの部分である「キ~ング、キ~ング!キングゲイナー」は斜め上からようこそ!と迎えるような感じで敵味方関係なく、みんな一斉に右手を同じポーズでノリノリに動くことから、一度見たものに衝撃的な印象を与え、斬新なものであることを筆者は覚えている。
これもまた富野氏の「芸能・祭と言った要素が内容や演出に取り入れている」と公言して
いるように、最初からアニメの根本である楽しく見られそう!面白そう!
そんなワクワクした期待感を演出しているに他ならないのですが、富野由悠季氏の作風に
しては珍しく、明るく楽しい演出が多いことからいろんな意味で敬意や異質を称し、
「白富野」と呼ばれるキッカケとなり晩年の主軸になったのは言うまでも無いでしょう。
エクソダスやオーバーマン!独創的なキングゲイナーの世界観とは?
OVERMANキングゲイナーは富野作品に多かった戦争への思考とはかけ離れ、エクソダス
というものを通して、主人公ゲイナー・サンガと強烈な個性を持った人々との出来事を
オーバーマンという特殊能力を持つロボットと共に、いろんな展開となっていくのですが、
これもまた富野氏が脚本を手がけていた大河内一楼さんが人間地雷の話を提案した際、
「もう悲惨な話はいいよ」
と諭していることやスポンサーであるWOWOWの「好きにやって」ということから
今までに無かった展開のため、従来の富野作品ファンであるほど面を食らったと思える。
その世界観も大義名分という形の支配からの脱却を描いており、一般人はドームポリスと呼ばれる限られた空間で食料や生活管理させ、中央政府やシベリア鉄道(通称:シベ鉄)に税金を納め、徹底して管理されるという、ソ連の社会主義を思わせるような感じなのですが、
エグソダスを簡単に説明すると、
「自分達の先祖が生活していた土地への帰還。」
であり、中央政府やシベ鉄の妨害や自然の驚異に負けず勝ち取れば自由になれるという。
ロボットアニメの中では、かなり異質であり、自由奔放に作成された感覚が強い。
また主人公ゲイナー・サンガはこの風習を嫌う両親が暗殺されたことで、ひきこもりになり、自宅でTVゲームをしているうちに「ゲームチャンプ」にまで腕前が上達するのですが、
両親が殺されたことで忌み嫌っているエクソダスの共謀罪となり、地下牢で偶然出会ったエクソダス請負人、ゲイン・ビジョウの申し出を受けることで、OVERMAN(オーバーマン)である白いスーツのロボットを見つけ、そこに「キングゲイナー」と命名することから、
祖先の地・ヤーパン(日本)を目指してあれほど忌み嫌っていたエクソダスをすることになる。
作品でもこのことを単純明快に、
「支配からとんずらする連中とそれでは困る支配者側の追いかけっこ」
とされており、住んでいた土地を管理という名目で支配していたシベリア鉄道から因縁を付け監禁されたことで祖先の土地であるヤーパンに帰るという設定のため、主人公の行動は追われる立場で逃げることから、敵対する相手に殺意や復讐という感覚が一切無いのが特徴!
そのためアニメの中に出てくるオーバーマンと呼ばれるロボットも特徴も、
「盗み取る」「幻を作る」「人びとの本音を露にして争いに至らしめる」
という概念でそれぞれの搭乗者の特徴を特技としており、人工素材であるながら人間の筋肉に当たるマッスルエンジンで生物のような柔軟な動きを可能にしながら皮膚や服に当たる
「オーバーコート」を付けることで、特殊能力である「オーバースキル」が使えてしまう。
オーバースキルはそれぞれのオーバーマンの特徴によって違うのですが、キングゲイナーは超高速移動が可能な「加速」のオーバースキルを持つことや、オーバーマンバトルというゲームで鍛えたゲイナーのセンスから、追いかけられる立場でも痛快に撃退出来るため、
視聴者に対し夢中にさせながらも、展開が読めない面白いものになったのでしょう。
キングゲイナーのキャラは何故こんなにも人間味あふれるのか?
キングゲイナーを見るほど人に生きる勇気を与えては人間味あふれるキャラ設定が多く、
笑いあり、時には友を亡くしたサザンクロスの叫び、ヤッサバの豪快な負けっぷりでもがいたり、教師と生徒の垣根を超えた運動会でアデット先生とサラ・コダマの女の闘いあり、アニメ界で三大恥ずかしい告白である主人公ゲイナーからヒロインサラへの大胆過ぎる告白など。
若干ネタバレするような感じで回想してしまいましたが、それらぜ~~んぶひっくるめて、
ゲイナーのエグソダスに巻き込まれながらも、たくましく生きていくので、これら人間味
あふれるキャラに勇気付けられたファンも多く、今でも人気ある作品である。
OVERMANキングゲイナーがこのような人間味あふれるキャラで満ちあふれているのも、
作成した構想がこれまでの富野アニメとは違い、全作品の∀(ターンエー)ガンダムから
意識している「監修」という点を重視した上で作成をしていることで効果が出ている様子。
脚本はこの作品後にもあずまんが大王、ラーゼフォン、宇宙のステルヴィア、魔法先生
ネギま!、交響詩篇エウレカセブンなど数々の名作を手がけている大河内一楼さん。
キャラクターデザインは漫画版亡国のイージスの作画である中村嘉宏さん、スーパーストリートファイターIIのメインイラストを担当した西村キヌさん、交響詩篇エウレカセブンでの作画クオリティが高い吉田健一さんの3人がグループワークという方式を設けながら、
それぞれの高いレベルの構成をうまく引き出していることが大きな特徴となっている。
またファンからは「吉田神」と呼ばれるくらい凄い吉田健一さんのオーバーマンのデザインはロボットアニメでは画期的であり、ヌルヌルと動くオーバーマンは圧巻の一言!
描写からセリフまわしを見るほど、富野節と呼ばれる富野由悠季氏独特の言い回しは健在なものの、見て!感じて!展開を追うように進んでいくほど、そのときのセリフや行動が何となく見えてきては「そうだったんだ!」と思わせる計算された部分が秀逸であることから、
ファンの中でもイチオシする人が密かに増えていることが意外と知られていない。
これもまた分担作業にすることで、個々の負担を減らしながら、いいものを多く引き出す
手法だと思えるのですが、それ以上に1人で脚本やデザインをすると固執化した考えや
思い込みから、殺伐とした部分が生じやすいことから、うつになった経験を踏まえての、
「監修」という視点でのまとめ役に徹し極端な偏りを防いでいるのだと思えてくる。
まあ中にはシベ鉄社員が不利になると「やってられねえぜ!」と逃げ出したり
相手に寝返ったりするシーンがあるのですが、富野氏の思考としては、
「所詮は俸給をもらう代わりに現場でキツイ思いをさせられている下っ端」
という位置づけで個人的な損得勘定だと語っているので、全部が全部!思想や計算づくで
やっているわけでは無いらしい・・・まあその分!人間味あふれるので面白いのですが。
OVERMANキングゲイナーで富野由悠季氏が語りたかったこととは?
結局のところ、OVERMANキングゲイナーは裏番組で当時、子供に爆発的人気だった
クレヨンしんちゃんに勝ちたかっただけのようで、原案であるオーバーマンに対しても、
「実体はなんだかよくわからない過去の遺物」
ということだけで位置づけとしては全く不明であることからテーマが今ひとつ不明である。
また作品としてもWOWOWという有料放送となっているせいか?爆発的ヒットまでは
行かず、自由に出来た反面、これらが足枷となっているのですが、エンターテイメント
として提供していることや、これまでテーマであるものを設定きた富野氏としては、
ただ単にクレヨンしんちゃんに勝ちたかったからだけとは作風からそう思えない。
詳細を語るとネタバレになるので、あまり詳しくは書きませんが、親を殺され理不尽な理由でシベ鉄に追われながらも、ゲイン・ビジョウとの出会いでひきこもり気味だった人生が少しずつ切り広げられ、主人公ゲイナーも「いざというときにやる男」として成長していく。
ゲイナーとは全く違う性格で主張を言いながらも何故か憎めないシベ鉄の面々や、ゲイナーを助けるために奮闘するヒロイン、サラやシンシア、ヤーパン忍法の使い手、ガウリ隊長。
アナ姫にリュボフなど普段ではマスコット的キャラで戦闘には役立たないものの、言動の1つ1つがゲイナーに取って鍵になったり、楽しい!と思わせる中に、お互い助け合って生きていく魅力的な人間模様が描かれ、王道ロボット物らしい燃える展開で幕を閉じるので、
ここからのメッセージから「人生の可能性」を描きたかったのでは?と思えてくる。
人によってはオーバーマンやオーバーデビル、ブリュンヒルデの過去伏線が
あまり語られないので、突き詰めるほど矛盾や疑問点が尽きないかもしれません。
しかし、キングゲイナーで言いたかった富野氏の思考としては、見て!聞いて!感じる
という本能へ訴える帰巣部分が、この作品にこめられているのでは無いでしょうか?