機動戦士ガンダム第15話「ククルス・ドアンの島」は作品の位置づけとしては番外編であるため、本来ならば必要ないのでは?と思ってしまうことが多いのですが、実際には描写されている1つ1つがこれからの戦いに反映するほど大事な面を物語っているため、
アムロを通して感じて欲しい!という富野由悠季氏の感覚がヒシヒシと伝わってくる。
その中でも、この話に出てくるククルス・ドアンの状況は、もう一人の主人公としてアムロにもありえたかもしれない部分を描いているため、今回も大人の目線でいろいろと読み解いていくことにしましょう。
目次
・本編とは全く関係ないククルス・ドアンの島を描写している意味とは?
・ククルス・ドアンはもう一人のガンダム主人公?セリフから読む関係性。
・ククルス・ドアンのザクVSジオンのザク!が意味する戦争の裏事情。
本編とは全く関係ないククルス・ドアンの島を描写している意味とは?
機動戦士ガンダム第15話は一見すると全く意味が無いように思える話かもしれませんが、
大人の目線で見るほどいろいろなものが見えてくることからファンであるほど見逃すのは非常にもったいないと思える。
まず最初にこの先の話の冒頭部分になるガンダムの合体シーンである「空中換装」を訓練するシーンがあるのですが、これも子供では理解しづらいコアな話が多すぎたせいか?視聴率低下を復活させるために、合体メカという位置づけで見せているに他ならない。
何せガンダムはそのままのほうが装甲の硬さやガンダムシールドがある分、やられにくいことは今までの戦闘でわかりきっていることや、コア・ファイターではザクですら厳しい戦闘ということを、ポイント305にある島で遭遇したククルス・ドアンのザクと、
戦闘したときに嫌というほど知らされるために、危険を犯してまでやる重要性がない。
またコア・ファイターに関しても本来はV作戦でモビルスーツ形態で学習コンピュータが戦闘を記憶、分析することで次回の戦闘に生かすことや、パイロット生存のための脱出用としていることから、通常は偵察機として使う理由も無いというもの。
この2つを合体・分離として描いている地点で、スポンサーからの指示で描写していることが見え見えであり、本編とは全く関係の無いところでつなぎとしてガンダムの構造をアピールすることで、おもちゃ性を生み出している。
監督である富野由悠季氏としてはスポンサーの意見を通さないことには、自分の作品を表現する場所が無くなるので、このような番外編に描写したということが想像出来るのですが、それだけだと自分の作品として汚点を生むだけですので視聴者に対して、
以下の点をククルス・ドアンの島を通しメッセージとして盛り込んだのかもしれません。
ククルス・ドアンはもう一人のガンダム主人公?セリフから読む関係性
ククルス・ドアンの島ではポイント305、ホワイトベースの航路からすると長崎県の五島列島あたりから連邦軍の救援信号があったために、空中換装訓練だったアムロに偵察命令が下りそこから島の実情を知っていくのですが、今回の話で出演する人達は、
よくよく見てみるとアムロ達の別の未来を描写しているように見えて仕方が無い。
筆者がこう感じるのもポイント305の島に着いた途端、連邦兵の2人が武器を奪われた状態でシートにくくり付けられており、そこにタチ、チヨ、クムの子供3人が自分達のテリトリー内に入れないよう、アムロを警戒して一方的に石を投げて攻撃をする。
アムロとしては敵ではないことを示すために、
「・・・よせ、やめるんだ。僕は敵じゃないぞ」
となだめるが3人の子供は島にくる知らない奴は敵!という思い込みがあるので、
「帰れ!」「この島から出て行け」の一点張りで話し合いにも応じようとしない。
さらにエスカレートしてコア・ファイターを壊そうとするため、アムロは仕方が無くもっていた拳銃を向けて脅してしまうのですが、そのことに対し悪い部分しか捉えないので、
ザクで登場するククルス・ドアンが子供達を制止しても、
「ドアン、また兵隊が来たんだ。僕達にピストル向けるんだ」
とアムロの目にはジオン軍のザクに乗っている男に従っている子供の姿に、信じられない
という感情ばかりが頭の中で交錯しながら混乱をきたすことになってしまう。
ドアンからすれば平和的解決をしたいためにザクで登場したとしても、
「君と戦うつもりはない。おとなしく武器を渡してくれれば危害は加えない」
と諭すのですがアムロからすれば子供達に敵視されいきなりザクで出てこられたので、
「ぶ、武器を渡せ?今ならそっちの好きにできるはずだ。
好きにやったらいいじゃないか」
と敵である可能性が高い奴に油断をするわけがいかないことを経験上知っていることから、
このような猜疑心の塊の対応でしか、ドアンと接することが出来なかったのだと思える。
アムロがこのような緊張感で相手を敵視した理由も、島に着いた際に連邦兵が炎天下でくくりつけられ死亡していたことから、自分も同じ目に会うかもしれないという、そういった危険なニオイに敏感であったからなのですが、これもまたドアン達の内情を知るほど、
アムロの勘違いだったことや、人として青臭い部分を描写していることが理解出来る。
この点は話を見ていくと理解出来るので割愛しますが、ここで大事なのはドアンと子供達の関係性であり、この点が「アムロもひょっとしたらこうなっていたかも!」という部分を思わせる描写となっていることから、非常に印象深い構成となっている。
その理由もタチ、チヨ、クムの子供3人がホワイトベースのみなしご避難民カツ、レツ、キッカをイメージさせ、緑髪の少女ロランはフラウ・ボゥと同じ立場でドアンの味方となっていることから別の未来を描写しているように見えるためである。
ドアンは話中で子供達の親を誤って殺してしまった償いのために、この島で4人を守るために戦っているのですが、彼自身にも心の傷があり、その傷を理解するようにロランがフラウ・ボゥをイメージさせるように重なり、アムロも同じような結果になったのでは?
そんな深いメッセージ性を生んでいるので、単なる番外編とは言い切れないと思える。
しかし実際にはそういった深い部分まで読み取る余裕も無く、お互いに相手のことを
けん制しあっている部分が強いことから、ジオン軍のザクが攻めてくるまでは、
ドアン
「君の戦闘機か。私はこの子達を守らなければならないのだ。
いずれジオンの連中がここを見つけ、私を攻撃してくるだろうからな」アムロ
「・・・僕だって身を守る為には武器がいるんです。
コアファイターを返してください」ドアン
「返したら君だって私を倒しに来るんじゃないのか?」アムロ
「あ、あなたみたいに子供を騙して手先に使うのとは違います。
僕はジオンの侵略者と戦ってるんです」
とお互いに緊迫した状況からロランが夕日の美しさを理解出来ないと諭されたときも、
「戦いに美しさなど必要ないよ、気を許せば負けるんだ」
と第13話の母との決別が尾を引いている感覚で人を信用していない。
この点はどうしても戦場下という意味では、相手の立場になって理解するには厳しい状況かもしれませんが、意固地になってしまうことから、青臭い部分を指摘される羽目になることが第17話の「アムロ脱走」につながっているため、裏に隠された部分としては、
これから起こるアムロの人間関係のまずさを本質として描いているのかもしれません。
ククルス・ドアンのザクVSジオンのザク!が意味する戦争の裏事情
ククルス・ドアンが子供達を守る理由も、ジオン兵であったときに子供達の親を流れ弾で殺してしまったのが原因であり、そのことに対して裏切り者として始末をしにきたジオン軍のザクとの対決シーン時に言ったセリフ、
「ジオンは子供達まで殺すように命じた。だが、俺にはできなかった。俺は
子供達を連れて逃げた。俺の命に代えてもこの子供達を殺させはしない」
が彼の本音であり裏切り者として戦わないといけない宿命になっていることから、それを
知っているロランが彼のことを悪く言うアムロにブチ切れたことがここで理解出来る。
富野作品にはこういったからくりが結構あるため、言われないとわからないことがありすぎるのですが、これもまたククルス・ドアンのザク登場時から布石として描写されているので、この点に気づくほどコアなファンであることは間違いない。
何せククルス・ドアンの島は作画崩壊か?と思えるほど描写が変わっており、ククルス・ドアンが搭乗するザクが妙に細長いことで、同じザクでも逃亡者が恐怖で痩せていく姿のようにも見え、ミサイルを石を投げつけることで落とす戦闘能力などは只者ではない。
そういった描写を見せながらも、肝心のドアンは平和的解決を求めながらも不器用で誤解されやすく、子供達の親を殺した罪悪感から悪夢を見ることが多いことから、その不安を拭い去るように連邦軍、ジオン軍関係無しに武器を奪うの繰り返しをしていた。
これもまたドアンが自分を始末しに来たザクを倒した後に、
「奴らは私が生きている限り追撃の手を緩めないだろう。
私がいる限り、この子供達にも危険がつきまとう。困ったものだ」
と放ったセリフに対し、アムロがそのことを理解していたのか?
「あなたの体に染み付いている戦いの匂いが、
追跡者を引きつけるんじゃないんでしょうか?」
と戦いの原因になっているザクを海に投げ捨てることで、戦争で本当にしなければ
いけないのは、戦う武器を捨てることだ!と物語っている。
これだけでも本当に番外編なのか?と疑問視する点ではあり現実には武器を捨てるどころか
軍備拡大でお互いに戦いは激しくなっていくのですが、1つ1つ意味深に拾うことで、
富野由悠季氏が機動戦士ガンダムで視聴者に何を語りたかったのか?また1つ理解出来たのでは無いでしょうか?