機動戦士ガンダム第43話「脱出」は前置き無しにガンダムVSジオングの続きから始まり、地球連邦軍とジオン軍の戦いに決着が付くのですが、最終回らしく緊迫した戦いをリアルに描写しながらガンダムのテーマとも言えるニュータイプの革新が散りばめられているため、
大人の目線で分析するほど富野由悠季氏が何を未来に残したいのか?1つ1つに
深い意味がこめられていることから、読み取ることが重要となってくる。
特に今回は最終回でありながらもアムロとシャアが因縁の対決につながる部分やザビ家滅亡がついでと言い切るシャアの真意など、今後の作品に展開する部分が描写されていることから、今回も大人の視点で紐解いていくことにしましょう。
目次
・ガンダムVSジオング!危険なニュータイプと懸念するシャアの真意。
・ザビ家打倒はついでと言いながらもあえてキシリアを討った本当の理由。
・沈むホワイトベース!絶望的な展開を打開した決め手になったものとは。
ガンダムVSジオング!危険なニュータイプと懸念するシャアの真意
ガンダムVSジオングの戦いは前回のシャアの迷いとジオング自体、有線誘導によるオールレンジ攻撃がブラウ・ブロの二番煎じであること。シャア自身ニュータイプとして覚醒がアムロほどされていないことから、決め手に欠け接近戦が弱点と見切られることから、
「こう近付けば四方からの攻撃は無理だな、シャア」
なぜララァを巻き込んだんだ?
ララァは戦いをする人ではなかった」
とシャアの思考まで理解してしまうことでシャアもアムロを危険視することから生き延びたいからノーマルスーツを着ないというポリシーを破るほど追い込まれてしまう。
それでもシャアは自分の心のよりどころになってくれるかもしれないララァを殺したアムロが許せないために操縦技術と戦術を生かし、相打ちになりながらもガンダムの左腕を損傷させララァが導いてくれることを信じ、ア・バオア・クーで待ち伏せすることになる。
シャアはガンダムを持ち前の勘で捉えるのですが、オールレンジ攻撃が出来ないジオングではけん制が限界であり、正面から接近戦で近づいたガンダムに気づいたときにはビームライフルを胸に受けてしまう。
このようなことからアムロもやったか?と思った途端!頭部が分離するので、
「・・・違うか!」
から隙を生み返り討ちとして頭部を破壊された瞬間!思わずやられたと感じさせるのも今までガンダムが破壊にまで追い込まれたことがない分!描写として衝撃を受けてしまう。
またジオングの反応がロストした瞬間のキシリアのセリフでも、
「赤い彗星も地に落ちたものだな」
がシャアさえも駒として考えていた本音が垣間見えてしまうのでこのギャップも印象的。
ここからはお互いコンピュータ制御でガンダムのラストシューティングから相打ちとなり半身を熱で解かされうずくまるガンダムの姿がヒーローらしからぬ哀愁となってしまうのですがそれ以上にアムロとシャアは生身の戦闘となるので、平均視聴者12歳からすれば、
ただの人殺しに過ぎないことから2人がそこまでする意味があるのか?疑問視してしまう。
その点はシャアの妹であるセイラが行動として物語っているので割愛致しますが、シャアに取ってはアムロは自分の心のより所になるはずだったララァを殺しただけでなくニュータイプが戦争でしか生まれないことや制御出来ない殺人兵器になる危険性を感じたことから、
「今、君のようなニュータイプは危険すぎる。私は君を殺す」
と短絡的な考えから、ニュータイプは強力な兵器であることを実感してしまう。
しかしアムロからすれば戦争でララァやアムロのようなニュータイプが生まれたことは理屈でしかなく自分の理論を通すためにフェンシングの剣で決闘をするのも、身体を使う技はニュータイプとて訓練をしていないと生かせないというのですが、現実にはそうとは言えず、
ニュータイプ能力が敵意を感じ取ってしまうことで読めてしまうのでシャアの攻撃はアムロの肩を貫く程度でしかなく、シャアの額に剣先が刺さるという惨事になってしまう。
これもまたアムロとシャアが決着をつける際に、
「い、今、ララァが言った。ニュータイプは
こ、殺しあう道具ではないって」
とあるように新時代の人種となるニュータイプはお互いに分かり合って時代を作るもの
だというものですが、現実には戦争の強力な殺人兵器としか見られないことから、
「ザビ家打倒なぞもうついでの事なのだ、
アルテイシア。ジオン無きあとはニュータイプの時代だ。アムロ君がこの私の言うことがわかるのなら、
私の同志になれ、ララァも喜ぶ」
とまるで最終ボスが悪の手先になれ!という感じで物言いするため、アムロとシャアの
確執となり逆襲のシャアへのフラグとして因縁を生んでしまう原因となってしまう。
こうなってしまったのもシャアが現実を見据えすぎた末路でありジオン亡き後はニュータイプの時代が来ることを予想していたことからアムロに唐突の提案となってしまったのですが、肝心のアムロは正確なニュータイプの知識を持っていないことから敵意にしか感じず、
自分が感じ取るものや人への優しさが正しいと思い込んでしまったことから7年にも及ぶララァへの恐怖と人への猜疑心から逃れられなくなってしまうのです。
ザビ家打倒はついでと言いながらもあえてキシリアを討った本当の理由
アムロとシャアの戦いの中、本当の敵はザビ家ではないのか?というアムロの質問にザビ家打倒はニュータイプの時代の幕開けのついでというシャアの意見があるため、一見するとキシリアは討たないのか?と文面から行動が意味不明となってしまうかもしれませんが、
それはあくまでも優先順位が下であっただけでシャア自身忘れていたわけではないことから、ア・バオア・クーの内部崩壊から妹アルテイシアを助けたことや、アムロとの決着が付かなくなったことから、次の目標であったキシリアの抹殺に変わっただけに過ぎない。
この点の真相はあまり語られていないのですが、地球連邦政府「ジャブローのモグラ共」と評していた腐敗した高級官僚や上級将校は生き残っており、自らの権利や利益確保しか見ないことから行政や治安がますます悪化、今回の戦争により労働力も激減したことから、
老人や子供の犯罪が増加することで民衆の不満が地球連邦政府に集まったことにより一部の地球至上主義者により結成された特務部隊ティターンズが結成されるので、7年後にシャアがクワトロになって粛清となるのですが、シャアの言うニュータイプの時代はこのような、
自己利益しか見ないオールドタイプの粛清も兼ねていた可能性からニュータイプを戦争の道具のような感覚で見てしまったため、アムロとのすれ違いとなった可能性も高い。
ちなみにシャアがマスクをしていたのも、キャスバルという過去を見せないことと同時にザビ家打倒の意思として、自分の額に傷をつけたことでそのことを火傷として詮索されないことを狙ったのだと小説版ではあるのですがアムロとの決闘でさらに目立ってしまったので、
これがきっかけとなりシャアが誓ったザビ家打倒を目覚めさせたのかもしれません。
またキシリアとしてもシャアのジオングの本体反応が消えた際に、
「しかし、ガンダムのパイロットが
ニュータイプとして異常発達したものならば、
やむを得ぬというところか。そうだな?」
と味方の反応がだんだんと消えていく中、自分自身に問うように判断しては、
「私の脱出15分後にここを降伏させるがよい
グラナダの戦力と本国の戦力が残っているうちにな私が生き延びねばジオンが失われる」
とギレン側から寝返ったトワニングに指示をすると勝ち馬に乗るように彼も、
「降伏後、私の身柄は?」
と保身を願うのでしっかりと裏取引をしては自分達だけ生き残れるように行動する。
シャアからすれば高官であるものは身を危険にさらしても率先して兵を導くことを信念としており、自らがモビルスーツで戦いに出ていたのも、これが信頼になることを知っていたからですが、キシリアの脱出を知ったことで優先順位以上に己の信念に反することから、
「ザビ家の人間はやはり許せぬとわかった。そのケリはつける」
護衛にお供していた兵士が無残に置き去りになっていたことで、彼からその事情を聞いたことから、ザビ家滅亡への野望に燃えたシャアがア・バオア・クーの出港ドックへ向かい、
『ガルマ、私の手向けだ。姉上と仲良く暮らすがいい』
からキシリアの首へバズーカをぶち込みザンジバルのブリッジが火の海となり沈没する。
このまま放置しても出港口はサラミスが囲んでいたことから集中砲火で死亡していたかもしれないのですが、シャアがとどめをしたのもザビ家滅亡としての決着という意味から、視聴者の期待通りにするのが筋という部分が強いのかもしれませんね。
沈むホワイトベース!絶望的な展開を打開した決め手になったものとは
本来ならば全52話となる予定だった機動戦士ガンダムも視聴者ターゲットが大人を意識しすぎている点から視聴率が低迷となり、全43話となってしまったことから主要人物が駆け足で戦死していく中、生活空間として思いを乗せてきた母艦ホワイトベースが沈んでいく。
そんな描写で宇宙内火艇スペースランチ2隻で脱出したシーンから、
「ホ、ホワイトベースが
ホワイトベースが、沈む」
で奇跡的に助かるのでこの間の描写も手に汗握る攻防から目が離せなくなる。
本来なら圧倒的な数で地球連邦軍は完全不利な状態だったのですが、ジオン軍の防衛の要であったドロス級大型空母2隻の撃沈、Sフィールドからの一点集中攻撃とガンダムの活躍から、アムロが言った一番脆い部分にホワイトベース隊は到着することに成功。
しかしホワイトベースはア・バオア・クーからの集中砲火で左側のエンジンに直撃を受け、
「うっ、エンジン急速閉鎖
エンジン切り離せ、ミライ」
から内部への着艇をせざるを得なくなりリック・ドムに右エンジンも破壊されたことで
身動きが取れず、白兵戦から完全に四面楚歌状態になってしまう。
こうなるとカイやハヤトが援護に回っても4箇所から囲まれているので自分の身を守るのが精一杯、セイラも道に迷ってしまうのと同時に兄と別れたことで怖気づいてしまい、アムロも宇宙要塞ア・バオア・クーの内部爆発から奈落に落ちるように下へ移動しては、
「ち、ちくしょう、こ、ここまでか」
と一旦はあきらめるのですが、その先にある破損したカンダムを見つけては、
「・・・まだ助かる」
とAパーツ強制排除ボタンを押し中にある小型戦闘機コア・ファイターで脱出を試みる。
しかしそれだけではどうしようもないことを悟ってしまうことから、
「・・・ララァの所へ行くのか」
とつぶやくのですがララァの思念からニュータイプはこういったときに相手の思念を読み取るものだ!という感覚でホワイトベースみんなの様子を感じ取ることから、絶望していたセイラを導きブライトに退艦命令、みんなを退避させると奇跡の脱出劇となっていく。
これもまた本作品の最大のクライマックスでありニュータイプがどのようにあるべきなのかを物語っているのですが、「平和への祈り」というBGMが激しい戦闘の中流れることやアムロがそれぞれのキャラクターに投げかける言葉が想いとなって救い出していくので、
「アムロが呼んでくれなければ
我々はあの炎の中に焼かれていた」
とホワイトベースが沈む中、ア・バオア・クーの爆炎が生々しく描写されてしまう。
ここまでならアムロはみんなのためにララァがいる死の世界へいくことを止め何とかコア・ファイターで脱出を心がけるのですがアムロがいないことをセイラが嘆いてしまうように、
「私がホワイトベースにたどり着くまではあれほどに。
アムロ。人がそんなに便利になれるわけ、ない」
とニュータイプだから万能に探せるわけでもないので一瞬絶望の空気が流れてしまう。
しかしアムロの危機に対し次世代のニュータイプを感じさせるように、
キッカ「・・・そう、ちょい右」
レツ 「そう右」
カツ 「はい、そこでまっすぐ」
「そう、こっちこっち、大丈夫だから」
からカウントダウンの爆発と共に鋼材に隠れて脱出するコア・ファイターが見えるので、
「アムロ!」
と感動のフィナーレとなってしまう手に汗握るリアリティな描写となっている。
これもまた過去から未来へ開拓していったアムロから未来へ生きていくカツ・レツ・キッカへのバトンタッチという意味で次世代を作っていくという描写から時代は繰り返されることを物語っているのだと筆者は感じたのですが、劇場版は音楽から涙腺が緩んでしまうので、
演出の違いを見直しても絶望からの希望である以上、劇的な最後であることに間違いない。
またナレーターの最後のメッセージ
「宇宙世紀0080、この戦いのあと、地球連邦政府
とジオン共和国の間に終戦協定が結ばれた」
とあえてジオン共和国とあるのも、ジオン・ズム・ダイクンが掲げたニュータイプ同士で分かち合える世界を作る部分へ回帰したものから、宇宙全体の平和を願っての描写だと思えるのですが、ニュータイプでなくとも平和への回帰は誰もが努力すれば行えることから、
戦争という悲惨なものよりも人として分かち合えることを筆者は願う所存です。