機動戦士ガンダム第11話「イセリナ、恋のあと」は題名からしてガルマ・ザビの恋人イセリナ・エッシェンバッハを主体にガルマの仇討ちのように思わせるものと推測してしまうのですが、実際にはジオン公国やホワイトベースの現在の内情を丁寧に描いている。
一見すると次の展開までのつなぎシーンでは?と感じさせることや劇場版でもザビ家一同がガルマの国葬を決めるまでの部分しか反映されていないので、ファンの中でも軽視されている部分なのですが、今後の展開やそれぞれの複雑な心境が描かれているために、
大人としてのガンダムを読み解くならこういった静かな展開こそ反映させるべきである。
では一体どんな面が注目する点であるのか?今回も大人の視点でいろいろと
紐解いていくことにしましょう。
目次
・ガルマの死により明かされた?ジオン公国の実情とザビ家の心情。
・もう1つの切迫した事実!ホワイトベースの先の見えない状況と現実。
・イセリナの仇討ちとシャアの左遷!交錯するクライマックスとは?
ガルマの死により明かされた?ジオン公国の実情とザビ家の心情
機動戦士ガンダム第11話では冒頭からジオン公国の実情がナレーターである永井一郎さんの神視点での解説と第一話と同じように富野由悠季氏の独特の描写が印象的である。
ナレーションと映像から読み取れるサイド3の実情としても、
・月のむこう地球から最も離れた宇宙空間に数十の宇宙都市が地球を
独裁によって治めようとするザビ家の支配する宇宙都市国家である。
・宇宙に浮かぶ円筒形の建造物の中に人々の生活空間がある。
・円筒形の直径は6kmあまり、長さは30km以上ある。
・その中には人工の自然が作られ人々は地球上と全く同じ生活。
・宇宙都市は遠心力によって重力を発生させている為に、
人々はカプセルの内側を大地として暮らしている。
と宇宙を支配していた地球連邦軍よりも優勢になっているのに、現実は支配されていたときとさほど変わらず、ザビ家三男であるドズル中将が前線基地から帰還した場合でも、
「フン、半年前と同じだ。なんの補強工事もしておらん」
と現在でも戦争による資金難と国情が豊かとは言い難い状態を物語っている。
そのため地球連邦軍の資源の要であったオデッサを筆頭にガルマが管理していたキャリフォルニアベースやアジア、ヨーロッパなど、資源は抑えてあるものの、30対1という絶対差から抑えた資源を反撃されないように死守することで精一杯。
地球に降りたジオン軍も防戦一方、ホワイトベースがガルマ管轄の制空権を抜けても
応援は全く期待出来ずこの後も自力で移動させられることになり完全に膠着状態。
またデキン公王以下、長男のギレン、長女のキシリアなどザビ家全員が集まったのも、ガルマの死によりデギンが集めたわけであり、溺愛していた四男ガルマを身内だけの密葬にしようとするのだが、結果的に総帥としての権限を持っているギレンの提案により、
ガルマの死は「国葬」となりジオン軍全体の士気高揚と連邦軍に対してのプロパガンダ。
つまり宣伝効果として利用していくので父デギンとの確執もますます大きくなる。
デギン公王がこうなってしまったのも、ジオン共和国の時に、ジオン・ズム・ダイクンが次期首相に指名したことで、方針が違うデギンをダイクンが指名するはずがない!ということから裏付け調査をした結果、ダイクン派のジンバ・ラルが暗殺説を主張。
報復により次男サスロ(本作品では未登場)が爆破テロで暗殺されたことに加え、ガルマが生まれた際に妻ナルスが死亡したことで、ジオン公国初代公王に就任しても精神的な支えを失ったことから、お飾りのような感覚で内にふさぎ込んでいく。
このことが響いたからか?ダイクンを暗殺してまでも欲した公王の地位も虚しくなりうつ病に似た感覚で、ガルマの成長くらいしか楽しみがなくなった隠居状態となったことから、62歳の年齢でありながら老けて見えるのはこのせいである。
そのため、ガルマが死んだと聞いた際、第10話の最後のナレーションが示すように、
「時に、ジオン公国の公王、すなわちガルマの父
デギン・ザビは、使者の前でその杖を落とした」
と絶望するように生きがいを無くすため、せめてガルマを父として身内だけで弔おうと提案しますが、現実にはギレンが発した、ガルマを儀式としてのプロパガンダにしており、
「父上、今は戦時下ですぞ。国民の戦意高揚をより確かものにする為にも
国を挙げての国葬こそもっともふさわしいはず。
ガルマの死は一人ガルマ自身のものではない、ジオン公国のものなのです」
と流されるようにギレンの意見が皆に共感され、ガルマは国葬となってしまう。
これもまたガルマの死を受け入れ切れていない部分からのデギン公王の心の弱さを示しており、ギレンの弟の死でさえ戦争の道具として使う部分が、ギレンの非常さとジオン軍の切羽詰まった状況を示しているため、ジオン公国の本当の敵は誰なのか?
富野由悠季氏の描写から読み取るほど、知らないうちに視聴者に対して
「真の敵はジオン公国ではない」察知させたかったのでは無いでしょうか?
もう1つの切迫した事実!ホワイトベースの先の見えない状況と現実
機動戦士ガンダム第11話「イセリナ、恋のあと」では、各場面ごとにそれぞれの問題点や現状を示しながら、これらを理由付けて交錯させていることから、絶妙な背景を交えて描写しているのですが、このお話ではガルマの仇討ちをするイセリナだけでなく、
ホワイトベースの切迫する現状や、ガルマを死なせてしまったシャアの処遇など、ギレンのプロパガンダと同時にリアリティあふれる部分に触れているので、子供のときには理解出来なくても、大人になるとその裏事情がしっかりと見えてくるというもの。
実際にホワイトベースはガルマ部隊からの襲撃はしのいだものの、ジオンの制空権から抜け切れていない状態。また悪いことにエンジンの調子がよくない上に、乱気流が来ると同時にイセリナが乗るガウを含めた3隻のガウ攻撃空母が攻撃をしかける。
その際に連邦軍からの入電で参謀本部がマチルダ中尉のミデアを接触させたことが
連絡会議で揉めていることや、通信士セイラが読み上げた入電メッセージ、
「避難民収容の準備あり。・・・S109、N23ポイントへ向かわれたし」
と自力脱出を促している地点で、ゴップ提督以下「ジャブローのモグラ共」の腐った
精神がヒシヒシと感じられるため、本当の敵は誰なのか?こちらも詮索してしまう。
何せゴップ以下ジャブロー首脳高官はレビル将軍の「V作戦」を快く思っておらず
ジオンにも物量で応戦出来ていることから、アムロが第9話でストレスからつぶやいた、
「連邦軍はホワイトベースを囮にしているんだ!」
という意見もあながち嘘ではなく、そのことを察知してか?不時着させられたホワイトベースもガウに集中砲火を食らい左舷後部にダメージを受けコントロールを失っても大破せずに墜落で済んでいるため、レビル将軍もこのことを予測していたのかもしれません。
またこの後も災難が続き不時着してしまったことを地球に降りるチャンス!と思った
避難民の一部も、自分勝手な老人達なので、保護されている身であることを理解せず、
「ジオンが狙ってるのはホワイトベースとガンダムだ。わしらは関係ねえ」
「ああそうだ、ホワイトベースに乗っているから
わしらはこんな目に遭うんだ」
「早く降ろしてくれ」
と砂漠の真ん中でわがままをいうのでこういった部分でも敵が一体何なのか?
理解出来ないほど切迫しているので、シャアの砲撃にあってしまい命を失ってしまう。
この点はザビ家でもそうなのですが、こういった描写を演出することで、先の先をしっかりと考えず自分本位なおろかな思考では、いつか己の間違った判断で死ぬことを富野由悠季氏は語りたかったのでは無いでしょうか?
イセリナの仇討ちとシャアの左遷!交錯するクライマックスとは?
機動戦士ガンダム第11話の見どころは「イセリナ、恋のあと」とあるように
恋人のガルマを失ったことでガルマの部屋で倒した敵を想像しながら、
「ガルマ様を殺した憎い敵、せめて、せめて一矢なりとも報いたいのです」
とダロタ中尉を気迫で打ち負かしガウ攻撃空母へ意思を決して参戦することになる。
イセリナは民間人であり、ダロタ中尉も劇場版ではカットされていることで優秀でも無く、実際にガウでガンダムヘ特攻した際に激突のショックで怪我を負い戦死しているので、これまで激戦を勝ち抜いてきたホワイトベースからすれば、大した戦力では無い。
むしろ無謀とも言えるので返り討ちが目に見えていると思えたのですが、ここでも意味深にシャアをイセリナのバックアップとして登場させているので、この点の細かい描写が見逃せない展開となっている。
またシャアがイセリナに手を貸す理由も、突然現れ援護をしたときに心の中で言った、
「ガルマを戦死させた責任、ドズル中将への忠誠、
どう取られても損はないからな」
という通りザビ家暗殺を悟られないようにすることや、処罰を少しでも軽くして
残り全員を殺すために、少しでも印象を良くしようとしたことが本心である。
案の定!ガウはアムロ搭乗のガンダムに第9話で行ったバーニアとジャンプを交えた戦術で接近され、前半にいじっていたビームサーベルの安全弁を解いた、ビーム・ジャベリンで堅い走向を魚をさばくように、ぶった切っていくので、勝てるものも勝てはしない。
さらにガンキャノンに乗ったリュウにも迎撃され砲塔を壊され、ドップやザクは前回までの戦闘で人員不足で出撃不可能!シャアもこれではどうしようもないと察知したのか?
「誰でもいい、コクピットを狙え、腹だ。ガンダムは腹が心臓だ」
とアドバイスをしてはガンダムに盾がもたなくなるほど集中砲火!ダロタ中尉にガウで
特攻させるので、シャアの腹黒い面々を散々に見せ付けられる始末となってしまう。
筆者がシャアのことを腹黒いと言えるのも、最後に奴が放ったセリフ、
「あ、ドレン、私のモビルスーツは電気系統がめちゃめちゃに
焼き切れていて使えなかった事にしておけ」
とシャア専用ザクを出さず、一度も被弾したことのないまま終えることで、現在の戦力では勝てないことを見切りながら体裁を繕っている部分が腹黒さを物語っている。
また回路系がやられて動けなくなり故障部分を調べようと外に出たアムロに対し、
イセリナ 「ガルマ様の仇」
アムロ 「か、仇だと?」
イセリナ 「・・・うっ」
アムロ 「・・・」
「ぼ、僕が、仇?」
とダロタ中尉が持っていた拳銃を突きつけながらも敵討ちが出来ず、まるでガルマを
追うように、足を滑らせ頭から地面に落ちてしまうのシーンは戦争が生んだ矛盾であり、
生き残るためにはうらみが無くても敵を倒さなければいけないという富野由悠季氏の
隠されたメッセージがくっきりと浮かんでくるため、
「なんていう名前の人なんだろう?僕を仇と言ったんだ」
というアムロの最後のセリフからイセリナを埋葬する姿は、死んだ姿以上に
キレイごとでは済まされない戦争の虚しさを表現しているのでは無いでしょうか?