ガンダム第7話コアファイター脱出せよは不平不満が湧き上がる兆し?

機動戦士ガンダム第7話「コアファイター脱出せよ」はガンダムとシャア専用ザクとの自由落下戦闘が有名であり、その他の内容は地味であることから、ファンでも印象が薄いという意見が多いのですが、実際にはガルマの命令で管轄内をジオン兵により包囲され、

ホワイトベースのエンジン不調のために不安感や人間関係の悪さから、さまざまな不満
が湧き上がる前兆となっていることから、見逃すのは非常にもったいないお話でもある。


特にカイ・シデンの皮肉っぷりに業を煮やしたブライトが鉄拳制裁を受けるシーン。わがままとしか思えない避難民達へのアムロのセリフは、現状の厳しさや心の葛藤を描いているため、この点を見ていくと、ガンダムの世界観を理解出来るのでは無いでしょうか?

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目次

・ガンダムの話で「コアファイター脱出せよ」を制作した本当の理由。
・物事をナナメにしか見ない皮肉屋カイ・シデンの心境と本音とは?
・避難民暴動?居座る老人達の訴えとアムロが発する心の葛藤とは。

ガンダムの話で「コアファイター脱出せよ」を制作した本当の理由

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機動戦士ガンダム「コアファイター脱出せよ」のあらすじは、ジオン軍に誘導され
そこを管理するガルマ大佐の指示で管轄から逃げられない状態となってしまった。


また肝心のホワイトベースは戦闘を繰り返した結果、エンジンの調子が悪く自力で逃げることが不可能のため、アムロの提案から小型戦闘機コア・ファイターで弾道軌道の乗り、そこから地球連邦軍の本拠地であるジャブローに通信、応援を呼ぶという作戦を立てる。


作戦提案者のアムロがコア・ファイターに乗り、吐かないように食事量を調整したり、作戦成功のための行動のためにやれることをやる!という意識で、アムロは弾道軌道に乗ろうとするのですが、あまりの加速に気絶してしまい30秒もの間、音信不通。


そこへシャアとドレンの乗るコムサイや小型戦闘機ドップに気づかれ、援護出来ないまま
6対1での戦いで失敗に終わり、シャアのザクとガンダムとの自由落下での戦闘となる。


こんな感じでコア・ファイター1機でこのようなマニア性の高い作戦を行うことになったのも大人の事情が絡んでいることが、ファンの間でも意外と知られていない。


基本的にロボットアニメでは主人公が死ぬことは物語が成り立たないので、コア・ファイターのように弱い機体で出るときは、主人公メカとして合体する場合がほとんどであり、スポンサーであるおもちゃ会社の売り上げ向上のための布石であることが大きい。


機動戦士ガンダムもオープニングでのシーンで、

「せいぎのいかりをぶつけろガンダ~ム」


の部分で合体メカを意識させているのですが、実際の戦闘ではあえて弱い戦闘機で出て、強いモビルスーツに合体するよりも、最初からガンダムで出撃したほうが装甲やシールドがある分安全性が高く、危険を侵す理由が見当たらない。


またコア・ファイターの目的は、戦闘するたびに学習して的確な行動に導く「教育型コンピュータ」の搭載とパイロットを含めた生存率の向上を目的としているため、劇場版では合体シーンはほとんどカットされ、戦争でのリアルのみを演出している。


TV版でコア・ファイターが無駄に出てくるのも、戦争のリアルさといつまでも抜け出せない不安感を演出しすぎていることから、視聴者ターゲットとしていた子供達からは、

「ガンダムって話が難しすぎるし、仲間の雰囲気も最悪になっていく
 毎回アムロとシャアの戦いばかりで何か飽きてきた」


という感覚から視聴率低下になっていくため、この辺で変化を考えた結果にすぎない。


そういったギャップがこの話からどんどんと増えてしまっているために、マンネリ化を防ぐ
意味で、おもちゃ性を持たせたコア・ファイターなどの活躍を描いているのです。


しかし現実には宇宙へ人工衛星を打ち上げる方法や、コア・ファイターをガンダムに装着する「換装」などの軍事用語など、あまりにもリアルを求めすぎた結果から、子供には理解出来ない点が、かえってあだとなっているのですが、この点も仕方の無いこと。


実際にホワイトベースの慢性的戦力不足を防ぐための戦闘機として活用され、空中戦に弱かった面をカバーするなど、さまざまな効果があったことから、後期にはコア・ブースターと呼ばれる強化ブースターをつけたものや量産型であるコア・イージーなど、

後期に渡り連邦軍の戦力となったのですが、子供達に取ってはモビルスーツである人型兵器のほうがカッコイイという感覚から、後期になるほど忘れられる存在となり、最終話で本来の脱出用として役目を終えることになるのです。

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物事をナナメにしか見ない皮肉屋カイ・シデンの心境と本音とは?

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機動戦士ガンダムの第7話から第8話くらいから、皮肉屋であるカイ・シデンの行動が目立つために、視聴者としてもイラっとさせられるシーンが多く、業を煮やしたブライトから鉄拳制裁を受けるシーンが印象的なのですが、何故カイはこのような行動を取ったのか?


ガンダムファンであるあなたにはしっかりと理解出来ているでしょうか?


一見するとカイはおちゃらけで皮肉屋、人の揚げ足を取る言動が多いことから、

「あなたは、あなたはいったいなんなんです?」


と今回の話でアムロが切れるシーンもあるようですが、実際には誰よりも現実に物事を考え、本質を見抜きながら生き残る方法を考えていることから、現実主義者で確実性のある行動を選ぶ、非常に頭の回転が速い人間だと筆者は見抜いている。


こう言える理由も第7話の会話だけでも、カイは的を得ていることを言っており、リード中尉とブライトがジオンの占領化で囲まれている中、老人や子供ばかり百人以上もいる避難民をどうするのか?で言い争っている時に、いつまでも逃げるつもりだとよと答えると、


ブライトが感情のまま「そんなことは言っていない」と反論すると、

「へえ、悪かったかい?でもよ、食料はどうするんだい?
 戦闘できない人達が百人もいるんだぜ」


と誰もが指摘できなかった点を現実的に物事を考えていることから相当のキレ者である。

しかし実際にはそういった面よりも、やるべきことをせずに傍観者を気取ったり、相手の痛いところをついて揚げ足を取る行動から、突っ込まれることも多く、相手を逆上させてしまうシーンにつながるのですが、これもまた自分が「軟弱者」で臆病だということを、

冷静に分析していることから、何と無く冷めた感覚で意見を言ってしまうことが多い。


そのためアムロがコア・ファイターで出撃する前に、

「よう、ホワイトベースから出たら奴らの攻撃を覚悟しといた方がいいぜ」


と忠告しているつもりでも、態度からバカにしているような感じに見えるため、一生懸命やっており、オーバーワーク気味のアムロからは、イラつく対象でしかなく、アムロが作戦に失敗したときでも、

「へへへへ、無理すっからさ」


と嘲笑に取られるような感じでバカにしたように見えたため、ブライトが業を煮やし、

「貴様、今度同じような態度を取ったら宇宙だろうとなんだろうと放り出す」


と一発殴ってから修正を叩き込んだので、こういった人間性をリアルに描いている。


カイの行動は全てが間違いではないものの、戦時下で神経が磨り減っているときにするほど、痛いところを付かれ、自分よりもやるべきことをしていない人間に指摘されるほど、気分のいいものではないので、反面教師として見習うべき点なのですが、

彼もまたこの後に起こる悲惨な出来事で成長するため、人生は一筋縄ではいかないと
いう富野由悠季氏の教訓なのでしょうか?

避難民暴動?居座る老人達の訴えとアムロが発する心の葛藤とは

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機動戦士ガンダムがリアルに描かれている理由も、戦争に巻き込まれた避難民の不満が描かれているためであり、これもまた当時の社会性を反映させるように、働き盛りの世代が戦争で少なくなる中、残されるのは子供と老人という極端な構図を見事に描いている。


また避難民の大半は宇宙政策の犠牲者であり、地球連邦軍に支配されることを嫌いながらも渋々宇宙に出た人々なので、大気圏突入のラストで海と自然に囲まれた地球を見たときから、「いったいいつ地球に降りられるのか?」という願望が不満と合わせ爆発する。


そのため、カツ、レツ、キッカとフラウ・ボゥを人質にブライトを仇のような目線で、

「わしらはなにも乱暴しようというんじゃない。
 本当の事が聞きたいだけなんじゃ」

「あとどれくらいで着陸できるのか、はっきりと
 この耳で聞かせてもらいたい」

「地球は、元気ならわしの孫がいるはずなんじゃ」
「わしは生まれ育った町や川をもう一度この目で見たいんじゃ」
「別れたじいさんにもう一度会ってみたいんだ」


と不満を爆発させるので、子供の頃の筆者としてもこんな大人には絶対になりたくない!
いう部分が強かったことを今でも覚えている。


結局はアムロやブライト以上に恐怖から逃れたい!という弱さから来ており、それと同時に
地球の大地が見えるのに何故、降りられないのか?という欲望しか目に無いので、いい大人が
情けなくないか?と今でもそう思えるのですが、ジオン軍の管轄下であるのに、

「あんたさんが、いや、ここにいる皆さんも全力で戦っておる。
 そのつらさはわかっとるつもりじゃが、しかし、わしら
 年寄りの愚痴で言ってるんじゃないんだ。我ら、地球の大地を」

「わしらをここで降ろしてくれ」
「それまでの命の保証を誰がしてくれるんです?」
「この子の命だけでも助けてください」

「安全な所を見つけて我々を降ろせばすむんじゃないのかい」
「子供に年寄りの気持ちがわかるか」


というあまりにも身勝手な意見にアムロが切れてしまい、

「誰が、自分だけの為に戦うもんか。

 皆さんがいると思えばこそ
 戦ってるんじゃないか。

 僕はもうやめますよ?」


と涙交じりの声で訴える部分はアムロだけでなくホワイトベース全員の心情だと思える。

こういったことは現実に起こりうることであり、地震や災害などの不安からでもアムロ達と同じ環境下に置かれることがあるため、デモなどを見ているほど、自分勝手な意見なのではないか?と思えるのですが、これもまた社会性を含んだ難しい問題ですので、


平均視聴者12歳のガンダムの世界では、いささか早すぎた内容なのかもしれません。

レクタングル(大)
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