機動戦士ガンダムの第6話ガルマ出撃すが人間関係の分岐点である理由

機動戦士ガンダム第6話「ガルマ出撃す」はザビ家の末弟ガルマ大佐が管轄する北米大陸に追い込んだシーンから、ジオン最新型空母「ガウ」と小型戦闘機ドップの編隊からホワイトベースが逃げ惑うため、行き着く間のない戦いから内部闘争になっていくのですが、

何故かしら劇場版ではアムロとブライトが大喧嘩する第9話と統合されているので、何故彼らがそこまで仲違いするのかが、理解出来ず、暗黙の了解でTV版を見ろよ!となっていることから、ファンであるほどそれぞれの心境を理解したほうがいいと思える。


特にこの回では前半までの人間関係や役割による考え方の違いなどが出ており、これが原因でストレスや葛藤となっているため、この点を中心に第6話を分析していきましょう。

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目次

・ホワイトベースでの内部抗争勃発?つまづきイラつく連続の悪循環。
・盟友再開!ガンダムを冷静に分析するシャアとガルマの心境とは?
・アムロの葛藤!戦闘でのストレス爆発と周りとのズレによる不協和音。

ホワイトベースでの内部抗争勃発?つまづきイラつく連続の悪循環

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機動戦士ガンダムでは富野由悠季氏の得意演出法である、1箇所に掘り込み対話させる富野方式が特徴でありながら、同じ箇所にいると飽きるという欠点があるため、この特徴を踏みながらも、各地を追われるように転々とすることが多いのですが、


第6話からはまさにこの方式をうまく活用しており、逃避行が長くなるほど、内部抗争にまでつながる描写として、そのキッカケになる出来事がふんだんに盛り込まれている。


1つ目がサラミス艦でホワイトベースを先導していた艦長リード中尉とブライトとの確執が挙げられる。リード中尉のほうが階級が1つ上なので、一時的にホワイトベースの艦長代理となるのですが、ルウム戦役の時に士官の人員が少なかったために艦長になった。

そんな感覚であることから中尉とはいえ副長以下の能力で肝心な部分で押しが弱い。実践の少なさも加わり、逆境になるほど適切な判断が出来ないことから、ブライトをイラ付かせるだけのお荷物でしかない。


実際にそのことを感じていたのか?それを吹っ切るような感じでブライトが、

「ホワイトベースに関しては、初めて扱われるあなたよりは私達の方が
 慣れています。
 敵の包囲網を突破してご覧に入れればよろしいのでしょう?」

と腹を決めたような顔で訴える19歳に気負いしている地点でダメであるリード中尉。


そのため第6話以降も、肝心な地点ではブライトに任せてしまう弱さがあり、逆らうごとに軍規だ!命令違反だ!と階級をちらつかせるので、この点からして腐った連邦軍の影響をモロに受けている部分が否めない状態から視聴者さえもイラ付かせてしまう。


2つ目はブライトの判断、リード中尉よりはまし!とはいえ、彼もパオロ艦長の死から突然艦長代理を任されたので経験不足は否めないのですが、それでも軍人であるため、セイラやミライ、カイやハヤトなどの意見に翻弄され、ハッキリと決められない部分が大きい。


特に素人考えで小型戦闘機ドップが主体であることから長距離射撃型のガンタンクで十分というハヤトの意見と、アムロをちょっとでも休ませたいという甘さから、流されるように操縦主アムロ、射撃主ハヤトの組み合わせでアムロはガンタンクで出撃することになる。


本来なら砲撃で楽勝!と思っていたドップも、マゼラアタックという戦車のような
新型兵器に囲まれ、本体部分がやられても砲塔が小型戦闘機になるので大苦戦!


結局アムロはガンダムに乗り換えするのですが、発進時にアムロの心の声で、

「女に作戦を聞く訳にはいかない。ブライトは
 初めからはっきりしていりゃあ」

とイラ立ちを覚えていることから、第9話の大惨事につながってしまう。


その他、カイが一生懸命整備しているハヤトに対し、ナナメ目線からからかったり、それに
対して叱るセイラなど、細かい部分を立場上で描写しているのですが、こういった点も
後々の「修正」(ガンダム用語でぶん殴られること)や反乱の種になっていることから、

2回目以降に見ると「あんなことしなければいいのに!」と思える部分があるのも
富野由悠季氏の計算しつくされた人間描写なのかもしれませんね。

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盟友再開!ガンダムを冷静に分析するシャアとガルマの心境とは?

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ジオン軍側は内部抗争が起こりそうなホワイトベースとは間逆で沈着冷静であり
士官学校時代に知り合った同期のガルマと同じく、第一声でも冗談まじりな感覚で、

ガルマ
「いよう、シャア。君らしくもないな、連邦軍の船一隻にてこずって」

シャア
「言うなよガルマ。いや、地球方面軍司令官
 ガルマ・ザビ大佐とお呼びすべきかな?」


とお互いに盟友という感じから、ガルマのお手並み拝見という感じで事が進んでいくのですが、この地点でもシャアとしては、ガルマを上官としておだてながら、彼に手柄を取らせるために出撃させ、内心は黒い部分を含ませている。


これも話の中で高みの見物といわんばかりに副官ドレンとの会話から、

「ガルマが苦戦して当然さ。我々が二度ならず機密取りに失敗した
 理由を彼が証明してくれている。しかも、我々以上の戦力でな」


という部分から、彼がザビ家暗殺の第一歩をたくらんでいると、この地点で
はっきり理解出来なくても、何かしら意味深なものとして表現されている。


しかもドレンには自分の力不足では無かったことを、ガルマの応戦で
証明させることを裏付けさせ、それ以上にシャアが心の中でつぶやいた、

「そうか、ガルマは乗らなかったか。彼がガンダムと戦って
 死ぬもよし、危うい所を私が出て救うもよしと思っていたが」


というセリフがガルマ暗殺を思わせる布石のように思えてしまう。


この地点ではガルマも敵の戦力を見て、ホワイトベースとガンダムを無傷で手に入れたい!という欲望から部下に監視させ、管轄から逃さないようにして戦略を立て直すのですが、

それ以上にシャアがシャワーを浴びながら、姉のキシリアに実力を示したいガルマに対し、

「私はよい友を持った」


と言いながらバスタオルで頭を拭き、左半分の素顔から光る左目が何か企んでいる不気味さを感じさせるので、この地点でも富野由悠季氏の狙った描写であるほど、ニンマリしてしまうのは、ガンダムファンであり「シャアめ!」と思えるのでは無いでしょうか?

アムロの葛藤!戦闘でのストレス爆発と周りとのズレによる不協和音

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第6話のタイトルは「ガルマ出撃す」とあるので、一見するとガルマ大佐がどんな人物なのかにピップアップされがちなのですが、実際にはアムロに課せられたものがオーバーワークであり、いろんな葛藤から戦闘でストレス爆発!仲間との不協和音につながっていく。


ブライトもアムロには休息が必要!と話の中でも言っており、アムロ自身、何かを振り切る
ようにやるだけのことをやろうとすることから、フラウ・ボゥにもオーバーワークだと指摘
され、後々嫌な予感がするのですが、2人乗りのガンタンクでハヤトと組むことで、

その予感が的中するように、ストレスでしかない出来事ばかりが次々と起こってしまう。


アムロはガンダムで1人乗りに慣れていたせいか?モビルスーツではまだ2回目のハヤトの
意見である「敵の隊列を混乱させる」ために前列に出ることに対し反対してしまう。

また、ホワイトベースが狙われるからと、山を盾にして応戦するつもりが、ガルマに
全て読まれてしまい、伏兵で忍ばせていたマゼラアタックに集中砲火される。


ブライトはオーバーワーク気味のアムロを気遣うために、

「アムロ、ブライトだ、君に頼みたい。マゼラアタックに対してガンタンク
 は小回りが効かない。ガンダムで、ガンダムでやってくれるか?」
「頼む。ガンタンクの方はリュウに操作させる」


ということで1人のほうが戦いやすいと判断するのですが、


初めてリュウがガンタンクに乗るという命令でにセイラが「自信が無ければいいのよ」と
励ますシーンくらいから、何かしら不満を漏らすように、

「僕だって、自信があってやる訳じゃないのに」


と小言を漏らすシーンが出てしまう。


そのことをセイラに気づかれ「アムロ何か言って?」と探りを入れられてしまうので、

「いや。アムロ、ガンダム発進します」


と取り繕うものの実際にはガンタンクが再度発進までスタンバイのため、

「もう、これだ。すべてこれだ」


と今までの葛藤が爆発するようにストレスとして溜まっていく。


結局、ガンタンクは第3話で乗っていたカイが操縦士となり、リュウはいつも通り、コア・ファイターで応戦するのですが、本体を倒しても砲塔部が小型戦闘機となるマゼラアタックには大苦戦!新たに追加されたザク3機とも、ガンダムが倒すことになる。


その様子は、今までのストレスを爆発させるように鬼気迫るものがあり、全ての敵をビームサーベルで滅多切りしては、終わっても切り続けていたので、どうしようも出来ない葛藤がストレスとして溜まっている部分をアムロの心境として戦闘シーンで描いている。


アムロからすれば「こんなに頑張っているのに評価されないのか?」という猜疑心から疲れがどっと出たのか?戦闘後に賞賛をたたえるために寄ってきたメンバーを無視。

戦闘をしのいだことをお祝いしようとカツ、レツ、キッカの子供達がシャンパンとパイを持ち戦闘の雰囲気を和ませようとするのですが、アムロにはそんな余裕も無く抱え込んだ不満を飲み込むように、ベットに寝そべることから、不協和音として続いていく。


これもまたアムロが凄すぎたのか?それともガンダムのおかげなのか?


無我夢中で目の前のことに対しやり遂げていくものの姿と、周りに翻弄されながらも立場上でしか対応出来ないものとの差に、深い溝が生まれている部分を表現しているので、これがどう影響していくのか?


いろんな意味で人間関係の分岐点となっている表現力が第6話では見逃せないのです。

レクタングル(大)
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