機動戦士ガンダム第36話恐怖!機動ビグ・ザムやらせはせんぞの意味

機動戦士ガンダム第36話「恐怖!機動ビグ・ザム」はソロモン攻略戦の後半として、ソーラ・システムでダメージを負い押せ押せムードで潜入していった頃、ドズル中将搭乗のモビルアーマー「ビグ・ザム」の特攻をどう食い止めるか?という点が見どころであるのですが、

それと同時に今回もさまざまな人間関係が展開するためソロモン攻略と同時にこの点も大人目線であるほど見逃せなくなってしまう。


特に今回はいろいろな点から地球連邦軍、ジオン軍共に内情を感じさせるものが大きい
ことから、大人の目線でこれら1つ1つを分析していくことにしましょう。

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目次

・ミライの恋!スレッガーの指輪とブライトの気遣いに秘められた意味。
・マ・クベ召集?バロム大佐との衝突から考えるソロモンの裏事情とは。
・ジムとボールの名コンビ!この2機は本当に弱いのか?検証してみた。
・ビグ・ザムは完全失敗作?脅威に見えても量産化は不可能である理由。

ミライの恋!スレッガーの指輪とブライトの気遣いに秘められた意味

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以前にスレッガー中尉に平手打ちを喰らいそのことで自分のことを真剣に理解してくれると
悟ったのか?それともスレッガー死亡フラグの前兆なのか?Gファイターの調子が悪くなって
ホワイトベースに帰還するスレッガーを心配して戸惑うミライの姿がとても印象的。

それ以上にミライに対し気遣いするブライトとミライの思いを回避しようとするスレッガーの気持ちがもどかしい恋愛描写としても見えるのですが、現実にはそれぞれが抱えている部分が違うことから一概に三角関係!と言えないのも富野流というべきなのか?


ブライトがあえてミライがスレッガーに対し気があるような感じを受け、戦闘中でありながらもサブブリッジにいたバンマス曹長に操舵手を交代させ、気を使ってスレッガーに合わせにいったのもブライト自身の優しさから来ているのですが、結果論であることが大きく、

カムランとの口論に何も出来なかった優柔不断さにミライが軽い失望を覚えたことから、それを何とか取り戻そうとした手段に過ぎないことや、ミライの頑固な面を見ていることで外からさりげない優しさを演出することで、気持ちの変化を見ようとしたように思えてくる。


こういった経緯から一見軽そうに見えてやるときはやる大真面目さからスレッガーに心を惹かれてしまったミライですが、スレッガーからすれば深刻な顔で心配するミライに対し、

「ミライ少尉、人間、若い時はいろんなことがあるけど、
 今の自分の気持ちをあんまり本気にしない方がいい」


とあり後のセリフにもあるように若いときにかかるはしか見たいなものであると悟っているのでおふくろの形見と称した指輪と渡し、浮ついたミライの気持ちを抑えようとしている。


筆者がこう語るのも後日談でキャラデザインの安彦良和氏がスレッガーの母親を描いており、実際にご存命であることからこの描写はスレッガーによる大人の対応だったことで、ミライに対し「浮ついた気持ちで人を好きになってはいけない」という意味に思えてしまう。


そのためここでのキスも愛しているということを受け止めたのでは無く、スレッガーの大人の対応からミライのためにあえてプレイボーイを気取りあきらめさせることを描写した可能性が高いことから、キスの意味もまた違ったように見えて仕方が無い。


当時の視聴者の大半が子供である以上!本来ならばそういったわかりづらいものはご法度だと思えるのですが富野由悠季氏の思考では、リアリティと1本の映画感覚であることから、

恋人と思われたものが意外な点で違っていたというものは大人の世界の苦い部分をあらわしているのかもしれませんね。

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マ・クベ召集?バロム大佐との衝突から考えるソロモンの裏事情とは

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前回のソロモン攻略戦の後半でキシリアらしき暗号電文でソロモンへ集結せよということからキシリアの部下であるマ・クベ大佐やバロム大佐などが、周辺に集結しては状況を見守るという、何かしら意味深な描写が裏を思わせてしまう部分なのですが、ここでもまた、

マ・クベやバロム大佐との衝突で戦場でしか感じられない本音をヒシヒシと感じ取れるので、こういった部分を捉えないほどその人の裏の人間性が見抜けなくなってしまう。


今回の戦いでは特に危急存亡であるソロモン要塞での人と人の気持ちのつながりが軸になっている描写がメインとなっており、ソロモン陥落の失態を自らビグ・ザムで特攻しながら妻のゼナと娘のミネバを思いやるドズル中将の思いや、その状況を見守るゼナとミネバ。


ドズルを心配するラコック副官とそれに敬意を称するように笑顔で答えるドズル。


自らの失態から兵を巻き込むわけにはいかない!と1人だけでビグ・ザムで特攻させ
ザクやドムに牽引させ脱出させるという人情味あふれる描写が細かく展開するので、

「・・・ああいうのはやりづらいんだよなあ」


とスレッガー中尉が苦言してしまう状態になるのですが、こういった点でも性格が出てしまうからか?マ・クベ大佐とバロム大佐に確執を生む口論となるのでこの点も見逃せない。


マ・クベとバロムは本来、ソロモンが持ちこたえられたときの残戦処理をする予定であり、
キシリア派としてドズルの弱ったところをぶんどることを考えていたことが以下のセリフ、

「そうだな。君はあくまでもソロモンが
 持ちこたえられた時の作戦参謀だった」


とあるため2人とも参戦せずに傍観を決めこんでいるのですが、マ・クベが回収を拒んでしまったことから要塞を放置してまで脱出せざるを得ない気持ちを汲まないと感じてしまい、

バロム
「失礼だが、マ・クベ殿は
 宇宙の兵士の気持ちをわかっておられん」

マ・クベ「私が?」

バロム
「このような時、仲間が救出してくれると信じるから
 兵士達は死と隣り合わせの宇宙でも戦えるのです」


とキメ顔で「お前は人でなしか?」という目線で冷静に訴えるので、この気迫に負け
逃げてきた兵やゼナ達を回収することになる。


こういった点はただ戦争に勝てばいいだけでなく人あっての国であることを語っており人間性が見られることから負け戦であるほど、上司の器量というものが問われるのですが、肝心のマ・クベはキシリアへの評価しか考えていないことから冷たい人間に見えてしまう。


結果から言えば生命財産は守れたもののソロモンという大きな戦力を失ったことで奇襲をかけようにも遅すぎる対応にしかならず、バロム大佐はゼナ達を乗せキシリアのいるグラナダへ帰還。マ・クベはこのままホワイトベースを追うことになるのですが、

現実にはマ・クベの成果主義の思考が抜けきれないことから、あの大惨事に
つながることになってしまうのです。

ジムとボールの名コンビ!この2機は本当に弱いのか?検証してみた

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ソロモン攻略戦で大量のジムとボールの戦隊が要塞内を進んでは、ビグ・ザムに一掃されてしまうことから「ジムとボールって弱いんじゃねえ~」と思うかもしれませんが、実際にこの2機は本当に弱いのか?分析をするほど、地球連邦軍の実情が見えてくる。


本来は「V作戦」としてガンダム、ガンキャノン、ガンタンクの量産型を作成して3機一個小隊として組む予定だったのですが、ソロモン陥落を行うチェンバロ作戦までに量産タイプとして作成することが難しく地形適正やコスト面を考えた結果ガンダムの廉価版である、

ジムとして量産化することで20分の1のコストダウンに成功、これもモビルスーツのパワーや旋回能力であるジェネレーター出力を10%、装甲を40%ダウンすることでガンダム1機を作成するよりも数で押せると踏んだことから、強敵に当たると弱いと感じてしまう。


またジムは操作性の難しいガンダムとは違い、コアブロックシステムから反映した学習コンピュータが基盤OSとなっているため、比較的容易な操作でありながらアムロの戦闘記録から改善した学習コンピュータが補助となっているため最低限の訓練で操作可能。

さらにガンダムと同じ武装を持っていることでカスタマイズ可能でありながら、素人でもスプレー状に拡散してくれるビームスプレーガンがあることで、3機一個小隊でフルボッコすればザクはおろか、リック・ドムですら危うい戦闘能力なのでこれも一つの完成形である。


ジムは3年目で引退するものの、操作性の良さや大量投入しやすいコスト面から次世代機としてジムⅡ、Ⅲとその形態を引き継いでいくのですが、もともとの意味が「GM」Gundam type Mass-production model(ガンダム型の大量生産モデル)という意味なので、


ザクやドム同様、量産型としてはいろんな面を考えても大成功であることが理解出来る。


またボールもスペースポッドという作業用のものにガンタンクと同じ180mm低反動砲を1門装備していることから長距離支援型として役立っているので、ガンタンクの廉価版として考えるなら本来の役目を果たし比較的安価に仕上がっているため資金難の連邦軍からすれば、


センサーもジムと同じくらい感知出来たことから利に叶っているのだと思えてしまう。


実際に地球連邦軍もジム1機が先行してガンダムと同等のシールドを構え、ボール2~3機が後ろから支援して集中砲火をかける役割分担がソロモン攻略戦でも見られたので、組織としてのジムとボールは正解だったのかもしれませんが、比較するものがこの2機しかなく、

今回のビグ・ザムのように圧倒的過ぎる相手ほど、比較対象として弱く見えるのは
量産型の宿命として仕方のないことなのかもしれません。

ビグ・ザムは完全失敗作?脅威に見えても量産化は不可能である理由

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機動戦士ガンダム第36話ではタイトルが「恐怖!機動ビグ・ザム」とあるようにモビルアーマービグ・ザムの強さばかりを押しているように感じるのですが、実際には完全な失敗作であり、試作段階で作成を止めた理由がこの話でもしっかりと出ていることに気づかされる。


最初の失敗は圧倒的な破壊力!ビグ・ザムは一見するとその破壊力でティアンム中将のタイタン以下サラミス艦数隻を一瞬にして破壊するのですが、単機突入だからこそ成果が出ただけであり、ドズル中将がソロモン内に攻めてくるジムやボールを破壊した際、

「うーむ、こいつが強力なのはいいが、
 このままでは基地の損害も馬鹿にはならん。」


とあるように前面の大型メガ粒子砲しか使用していないのに基地ごと壊れしまうことから使用用途が完全に限られてしまうことに、いささか危機感を覚えてしまう。


また全方位で攻撃するメガ粒子砲×26門も要塞防衛の置物や単機突入ならまだましなのですが、周りに味方がいたとしたら無駄に被害が出るだけなので使えない兵器と化してしまう。


防御用にIフィールドジェネレーターを使い、ジムや戦艦の主体であるビーム兵器を完全無効化、4基の超大型熱核反応炉を搭載していることから初見では最強に見えるのですが、冷却を空冷式にしている分、宇宙ではわずか20分と持たないので持久戦に弱すぎる。


このことを知ってか知らずかドズル中将はビグ・ザムでビームを弾きながら、

「はははははっ、見たか。ビグザムが量産の暁は
 連邦なぞあっという間に叩いてみせるわ」


と高揚していることから欠点に全く気づいていないのですが、実際に量産してしまったらマ・クベがキシリアに届けたオデッサ鉱山での資源を全て使い果たすほど莫大な費用がかかることから今までの苦労が水の泡。そんな置物に誰が一体量産を決め込むのか・・・


この点は地上ならば10時間以上持つのでおそらくは地球連邦軍の本拠地ジャブロー降下で単機突入を考えられていたのかもしれませんが、それを差し引いても試作地点でビグ・ザムの開発を止めたのも、2本足の状態で自立するようにしてしまったからだと思える。


モビルスーツからは59.6mと高いことから見た目からして恐竜を印象付けるような怖さなのですが、逆に言えば地上戦であるほど下から攻撃することが目に見えており、スレッガー中尉がゼロ距離からのビーム攻撃は無効化出来ないのでは?と感じGアーマーで特攻。

「つもりもへったくれもあるものか。磁界を張っていると
 なりゃ、接近してビームをぶち込むしかない」

「私情は禁物よ。奴の為にこれ以上の損害は
 出させねえ。悲しいけど、これ戦争なのよね」


と何かのフラグを思わせるやりとりから足の下から突撃!案の定ゼロ距離からは足の付け根やバーニアなどビームは通るので、そこからビームサーベルで切りつけてあっさり終了。


開発者がビグ・ザムの欠点を知りながらも足の爪ミサイルであるクローしか対応しなかったのも、下にメガ粒子砲やミサイルをつけてはそこが弱点だ!と言ってしまうもの。


使用用途と欠点だけを見ればビグ・ザムは中途半端な欠陥品のため、本来ならやられてしまうのは宿命だったのですが、これまでにないサイズで偶然にも単機突入をしたため圧倒的戦闘力を生かしながら、近づく前に敵を一掃していく描写があるからこそ恐怖を感じさせる。


またビグ・ザムを倒すシーンでも「俺の屍を越えていけ!」と言わんばかりにスレッガー中尉が宇宙に放りだされる描写からアムロが逆上してしまい、ビームライフルをバーニアーに直接ぶち込んでは、怒りをぶつけるようにビグ・ザムをビームサーベルでぶった切るので、


こういった見せ方がうまいことから積み重ねたものが生かされていくというものである。


それと同じくドズル中将が最後に銃を手にしてガンダムに対しいうセリフ、

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「やられはせんぞ、やられはせんぞ、貴様ごときに。
 やられはせん。ジオンの栄光、この俺のプライド、
 やらせはせん、やらせはせん、やらせはせんぞーっ」


と最初は「やらせはせん」から「やられはせん」と変わっていくのも完全に勝てないことを知っているはずなのに、気分が高揚していることから自分の意思だけでガンダムに勝とうという演出として、背中から悪魔を思わせるのもドズルの心境を描写しているに過ぎない。


結果からすればソロモン戦はビグ・ザムが出てきた地点でドズルの敗北は目に見えていたのですがそれを知るには連邦軍も被害が大きく出てしまったことからミライの最後のセリフ、

「・・・嘘って、嘘だって言えないのね?アムロ・・・」


からエレベーターで涙を見せるミライや戦いに疲れてうなだれるホワイトベースクルーをたたえるようにマチルダ役の戸田恵子さんの挿入歌「いまはおやすみ」がソロモン戦で傷つき疲れた兵士達の激しさを物語るので、両軍共にその歌から戦いのむなしさを感じるように、


最後に描写するソロモンが何かしら悲しげに見えるのはこういったいきさつがあるからこそ
戦いのむなしさとして感じさせるのかもしれません。

レクタングル(大)
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