機動戦士ガンダム第34話宿命の出会いが意味するサイド6での決別

機動戦士ガンダム第34話「宿命の出会い」は大きく分けて3つの場面からタイトルをテーマとした出来事が展開するため、普通に見てしまうほど突然の展開に驚いてしまうことが多いのですが、その中にも意味があるので大人であるほど考えさせられる部分が大きい。


話の筋書きとしては補給が受けられないホワイトベースがコンスコン隊をいかにして打破するか悩むシーンが中心なのですが、その間にアムロの父との決別やスレッガーの大人としての平手打ちでの主張、コンスコンの意地などそれぞれの思いが見どころとなっている。


特に注意して見たいのが以下の3つとなる話なのですが、その中にも子供目線で見た印象とはまた違った描写に感じたため、今回も大人の目線で紐解いていくことにしましょう。

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目次

・アムロ父との決別そしてシャアとララアとの出会いが意味するものとは。
・ミライを平手打ち!スレッガーが語る「気合いの問題」の本当の意味とは。
・コンスコン再び!プライドと意地に勝ったアムロが見せた奇跡的な戦い。

アムロ父との決別そしてシャアとララァとの出会いが意味するものとは

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前回のサイド6圏外ギリギリでの戦闘からホワイトベースを追い出したがっていることをブライトが懸念するシーンで始まり、アムロが大事な用としてサイド6内に2時間滞在することをミライとの会話で感じ取れるのですが、この2時間だけでもアムロは目まぐるしく、

インド系である15歳の少女ララァ・スンとの劇的な出会いから、酸素欠乏症で完全に壊れてしまった父テム・レイとの決別。その決別で乗っていた車を雨上がりでのぬかるみにハメてしまい偶然にもシャア・アズナブルに助けてもらうという中立コロニー独特の描写から、

コンスコン隊との戦いでは急激な戦闘能力の向上にブライトも驚かされるのですが、これもまた富野由悠季氏独特の乳離れからの成長という描写から1つの導線となっているので、そこで語られる意味を理解しないと、何故アムロが驚異的な力に目覚めたのか理解出来ない。


ララァ・スンはキシリア少将によって創設された「フラナガン機関」で育てられた少女でありシャアが後にララァ・スンは私の母になれる人だったというように特別な人であることを後半のコンスコン戦をサイド6が放送するTVで思わせるのですが、

これもまたララァのニュータイプ能力からシャアと同じように、両親に甘えられず厳しい世界を生きることを義務付けられてしまったアムロにも、額から何かを感じるようにララァの能力を感じたことで、同じ能力としてニュータイプ目覚めるキッカケとなる。


機動戦士ガンダムでのニュータイプの定義は富野由悠季氏の意見では定まったものはないと言っていますが、後々の描写から考えてみると思うだけで相手の思考が理解出来、そこから何をすればいいのか?理解出来ることから、ある意味エスパーのようなものである。

こう筆者は分析しているのですが、ララァとの出会いでも直感で存在を感じたことやそのことで心の中に入りすぎたことを距離感として描写することから、いきなり現れたアムロに対しおびえるような態度になったのもニュータイプとしての感受性の強さに過ぎない。


また吸いこまれるようにララァの前に現れてしまったせいか?場の重い空気を変えようと、

「あ、あの鳥のこと、好きだったのかい?」


という言葉に対しララァにはその意味がよく理解出来なかったため素直に、

「美しいものが嫌いな人がいて?(以下繰り返し)
 美しいものが嫌いな人がいるのかしら?それが年老いて
 死んでいくのを見るのは悲しいことじゃなくって?」


と純粋なままに答えるのでアムロも思わず唖然としてしまう。


その時は何気ない会話と思っていたのですが現実は過酷であり酸素欠乏症によりモビルスーツ技師としての栄光とアムロが軍人になったという勝手な記憶から、尊敬していた父の面影は旧式パーツでガンダムが強化されたと喜ぶことから哀れみとして永遠の別れとなる。


そのことで父の思い出を第1話の光景から振り返りボーっとしてしまうので雨上がりの近道でぬかるみにハマり偶然通りかかった車を呼び止めた際、仮面の男が降りてくるのを見て、

『シャア』


一度も見たことが無いのに全身真っ赤な軍服のジオン士官をシャアと感じてしまう。


シャアは親切心にぬかるみにハマったアムロの車を運転していたララァに牽引させ、
さりげない感じでアムロに接するのですが、「君は?」名前を聞かれた時に、

アムロ「ア、アムロ、アムロ・レイです」
シャア「アムロ?不思議と知っているような名前だな」
アムロ『そ、そう、知っている。僕はあなたを知っている』


と視聴者でないと知らないのに知っているという部分からニュータイプというものを
知っているファンほど、覚醒か?と思わせる描写に思わずニンマリしてしまう。


またアムロも初めてみる赤い軍服の士官をシャアだ!と感じたのも不思議に思ったのか?

『始めて会った人だというのになぜシャアだって
 わかったんだ?それにあの子、ララァといったな?』


と疑問視するのも1度も会ったことが無い部分から不思議に思えるのは当たり前のことなのですが、シャア自身は地球連邦軍の軍服を着ているアムロなので、目の前の兵士に対し警戒していると思い、親切にしているのに礼が無いので失礼だ!と思ったらしい。


このシーンだけではララァが言う通り、

「大佐の名前を知ってるからでしょ、赤い彗星の
 シャアって。おびえていたんですよ、きっと」


と思われていただけかもしれませんが、現実には相手のことがわかる自分に何かしら恐怖を感じながらも、相手に悟られるのを恐れたからだと思えるので、これもまたニュータイプとしての目覚めがそうさせたのかもしれませんね。

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ミライを平手打ち!スレッガーが語る「気合いの問題」の本当の意味とは

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サイド6は表向きは中立を宣言しているため、ミライが冷静な顔で言った、

「敵の戦艦と同じ港に入るなんて中立サイドならではの光景ね」


とあるようにシャアのザンジバルとホワイトベースが同じ宇宙船ドックで待機するシーンから、カイは漫画だと笑い飛ばし、ハヤトはリュウの仇を討つと躍起になるのですが、現実には補給も戦争行為とみなされることから、補給無しの状態からコンスコン隊をどうするか?


今回の話で一番の問題点である中、カムラン監察官のよるサイド6外への誘導提案がミライには出すぎた行動と思え、神経を逆立てるのでいつの間にか痴話ケンカとなってしまう。


カムランの提案ではミライのためと必死になって考えた結果、

「わたくし、自家用の船があります。それでこの船をお送りします。
 サイド6の船が盾になっていればジオンとて攻撃はできません」


と監察官の越権行為ながらも愛するミライのためにと提案するのですがミライからすれば助けて欲しいときに助けず、父の権力が財力をあてにしての行動が目立ったために、

「今更あたしに対して、自分が役立つ人間だと
 思わせたいだけなのでしょ。でも、でもあたしが
 一番つらかった時にしらん顔で今更」


と意固地になってしまっているので、カムランが命がけで提案をしても拒否することから、

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「バカヤロウッ」


からスレッガー中尉がミライに対し平手打ちをした後それぞれに説教をするように、

「この人は本気なんだよ。わかる?そうでもなきゃ
 こんな無茶が言えるか。いくらここが中立のサイドだからと
 いったところでミサイル一発飛んでくりゃ命はないんだ、わかる?」

「あんたもあんただ、あんなにグダグダ言われてなぜ黙ってる?」


と普段のおちゃらけた態度とは違い真剣な眼差しで訴え、

カムラン 「殴らなくたって話せば」
スレッガー「本気なら殴れるはずだ」
カムラン 「そ、そんな野蛮な」
スレッガー「そうだよ、カムランさん、気合の問題なんだ」


と今の時代からすれば野蛮で体罰!と思われる部分を「気合の問題」と称するので、

「な、少尉」


とミライに同意を求めても「知りませんよ」という顔をされてしまう。


現代では言ってわからなければ殴って身体で理解させるという解釈は横暴なので、なかなか見られない演出なのですが、ここでいう「気合の問題」は相手に対しどれだけ真剣な態度で説得が出来るか?という部分を示しているので、この点を理解出来ないほど成長出来ない。


まあ暴力が全てにおいてよいとは言えませんが理屈で心をガチガチにして他人を拒否する人であるほど修正としてガツンと間違いを正さないといけないのも、人として大事な面でありながら、年齢を重ねるほどそのときのことが重くのしかかることから、


第36話につながるミライとスレッガーの関係の伏線になっているのでは無いでしょうか?

コンスコン再び!プライドと意地に勝ったアムロが見せた奇跡的な戦い

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機動戦士ガンダム第34話は劇場版では1つにまとめられているリック・ドム戦が2回戦目としてサイド6のTV中継を通し、シャアの無能さを示したいコンスコン隊と補給を受けられず最低限の修理しか出来なかったホワイトベース隊との戦いが見ものなのですが、


ここでもまたそれぞれの立場や状況を通して描写されているので戦闘も奥深いものがある。


今回の戦いでは補給がいつ受けられるかわからない状態なので、最低限の戦力で向かい撃つことからモビルスーツはガンダムのみ、ホワイトベースもエネルギーを消費する主砲はコンスコン搭乗のチベなど戦艦以外には使わず、ミサイルで応戦と徹底している。


またスレッガー中尉の平手打ち効果が利いたのか?カムランも男の意地を見せており、

「カムラン、ありがとう、お気持ちは十分にいただくわ。でも、
 でも。ありがとうカムラン、帰ってください。お父様お母様によろしく」


と遅すぎた恋を忍ばせながらミライも決別をするのでカムランも思わず、

「頼む、ブリッジを」


ミライとの今生の別れのような感じで悲しげに見つめてしまう。


こういった大人の事情を理解するほどなかなか厳しい戦いだと思えるのですが、それ以上に
コンスコン准将の方が上手であり、サイド6外ギリギリから撃ってくることから、

「メガビーム砲、まだ敵艦を撃つなよ。ビームがサイド6に入る」


射程外からだと!無粋な!という感覚から始まるので今回も嫌な予感がするのですが、これまでの出会いからニュータイプとしての能力に目覚めたのか?アムロがジョイスのリック・ドムを撃破!続けてもう一機倒すので、このことに気づいたジオン兵達も、

「・・・嘘だ、まさかこんな、ああっ」
「まるでこ、こっちの動きを読んでるようだぜ」
「き、気まぐれだよ、まぐれだ」
「こうなりゃかく乱するしかない、例の手でいくぞ」


とかく乱戦術で3機同時に対応するのですが、今のアムロからすれば、

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「見える、動きが見える」
「見える」


かく乱しても見切れるので、引っ掛けた!と思っても全て見切っており、

「おわっ、ま、待て、待てよ、うわあっ」


というところから後ろについたリック・ドムの攻撃を見切るのでブライトも思わず、

「何があったんだ?今日のアムロはカンがさえている」


と驚きを隠せない状態で前のめりになってしまう。


この間にシャアとララァがサイト6TVから中継を見ながら、

「よく見ておくのだな。実戦というのは
 ドラマのように格好のよいものではない」


とあるのですが、実際にはホワイトベース隊のほうが圧倒的に上手であり、

「敵艦を横に狙う。それまではミサイルだけで防戦するんだ」


とコンスコン搭乗のチベが前面には強いが側面に弱いところを見抜いており、

「待てカイ、モビルスーツはほっとけ。
 主砲は敵艦の接近だけを阻止すればいいんだ」


から完全に戦艦をターゲットにしている点から格の違いが出ていることを意味している。


結局アムロのガンダムがリック・ドム6機全滅させビームライフルを使い果たしたので、

「エネルギーがあがった。ビームライフルが
 使えないとなると接近戦しかない」


でニュータイプしか感じないだろうと思えるチベの弱点を感じ取るのですが、

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「は、話にならん。も、木馬一隻にこ、こ、こんなに
 てこずって、シャ、シャアが見てるんだぞ、シャアが。
 特攻せよ、このチベを木馬のどてっぱらにぶつけい」


という感じでコンスコンも錯乱していることから勝てない戦いがさらに絶望的になる。


まあここまでくればララァでなくても、

「白いモビルスーツが勝つわ」


となるのは視聴者でも理解出来てしまうのですが、そのことについてもアムロは冷静に、

『突撃をするぞ、あせっている証拠だ。どこが心臓だ?』
『あそこか?』


額に稲妻が走るような描写からビームサーベル2本で弱点を突き刺しチベを撃沈する。


このような形からほとんどがガンダム1機で倒したことからテム・レイは勘違いして、

「そうだ、それでいいのだアムロ。あの新しいメカの
 おかげだ、ガンダムは使えるぞ。はははは、
 あははは、あはははっ。地球連邦万歳だ」


と歓喜にあふれ劇場版だとこのまま外の階段から足を滑らせ後頭部を打って死亡するのですが、カムランはミライに、アムロは父テム・レイに、それぞれの過去への決別として哀愁を漂わせるシーンがくりぬけた戦いと比較されて後悔となってしまうことから、


最後に発したセリフが宿命からの決別として描写されているのでは無いでしょうか?

レクタングル(大)
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