時間よ、とまれでガンダムに爆弾設置して解除させた本当の意味とは?

機動戦士ガンダム第14話「時間よ、とまれ」は劇場版でもマチルダからの補給しか重視されていないため必要ないと思われているようですが、実際には富野由悠季氏自ら脚本から絵コンテまで全てに携わっているのが本作品中でもこの話だけであることから、


その意味を読み取らないとファンとしてはまだまだ甘い!と言われてしまう。


特にこの話ではコロニー内とは違う地球独特の表現や、ホワイトベース、局地にいるジオン兵の実情を描いていることから戦争とは一体何なのか?を再認識させられる回でもあるのですが、これをガンダムVS人間と置き換えることにより富野描写が冴えているので、

今回も大人の目線で関係性や裏の部分まで紐解いていくことにしましょう。

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目次

・時間よ、とまれはガンダムVS人間?富野由悠季自ら脚本までした意味。
・マチルダ再登場!セリフから読み取るホワイトベースの立ち位置とは?
・時間よ、とまれ!ガンダムへの爆弾設置と解除は何を語っているのか?

時間よ、とまれはガンダムVS人間?富野由悠季自ら脚本までした意味

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機動戦士ガンダム第14話はコアなファンであるほど、この話は富野由悠季氏しか考え付かない!と絶賛するくらい、地球環境での実情やホワイトベースやジオン軍局地の内情を描いているため、戦争とは何なのか?を改めて考えさせられる部分も多いのですが、

その中でも富野氏にしか出来ないだろう!と思える感覚がふんだんに盛り込まれて
いるので、ファンであるほど思わずニヤっとしてしまうシーンに気づかされる。


ます最初に感じるのが何故か虫の演出に異様なくらい力が入っている点。


冒頭に出てくるジオン兵に媚をうるマジシャン、エドウィンは無敵鋼人ダイターン3のゲスト出演であったり、ジオン兵の中に同作品の波嵐万丈やギャリソン時田そっくりの兵がいたりと遊び心が盛り込まれていますが、それ以上にクワラン曹長とギャルの会話中に、

虫の描写をすることでコロニー内とは違う辺境の土地で、いつ終わるかわからない
戦争への不満を想像させるように演出している。


実際にクワラン曹長以下、今回のジオン兵達の手持ちの武器はザク1機と残り少ない
弾薬だけなので補給も援護も期待出来ないまま、連邦軍にいつ反撃を食らうか?


そのことを心配しながら手持ちのザクを磨いている最中にマジシャンが出した鳩に対し、

「このっ、お前の代わりにこっちは弾の一つも欲しいんだよ」


と八つ当たりをする始末なので、普通ならこの程度の相手に歴戦を勝ち抜いてきたホワイトベースのクルーが手こずることは無いはずなのですが、司令官直属の通信兵であるソルからガンダムを若いものだけで倒すという提案が通ったことで、クワラン曹長のセリフ、

「俺達が勝手にやって敵をやっつけるぶんには構わねえと
 隊長も言ってくれたんだ。うまくいきゃあ本国に帰れるぞ。
 こんな虫のいない、清潔なジオンの本国へよ」


と動機や決意から、地球の環境や局地戦での不平不満が読み取れてしまう。


このような描写が多いのも、この作品の元ネタが手塚治虫さんの「ふしぎな少年」に対抗しているからであり、超能力をテーマにして「時間よ、止まれ!」と決めセリフで展開を決めるのですがガンダムでの時間よ、とまれでは虫を嫌がるジオン兵を不満として描写。

ガンダムをジオン兵達がのし上がる壁として、少ない戦力でも成果を挙げるために爆弾を付け、それを外させる行為を見せることで、戦争はお互いに生死のある戦いであることを再認識させたのでは無いか?と筆者はそう考えている。


この点を考えると、30分後に爆発する時限式でなくリモコンでやっつければ?とステレオタイプほどそう思ってしまいやすいのですが、クワラン曹長がセリフでいうように、

「そう言うな。ああも簡単に着けられるなんて思わなかったんでな」


と現実には本気で無かったり、リモコン式の爆弾は高価なので末端の兵士には届かないのが
現状としっかりと描写しているため、これに対しアムロ達がどう対応するのか?


富野由悠季氏が何をいいたかったのかを考えるほと背景が見えるのでは無いでしょうか?

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マチルダ再登場!セリフから読み取るホワイトベースの立ち位置とは?

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前回の「再会、母よ…」で無駄な戦闘をしてしまったことから、マチルダ中尉のミデアと合流してホワイトベースのエンジンを中心に修理や補給物資を得ることに成功する。


このことに関しブライトは正規軍でもないのに何故補給を?という疑問にマチルダは、

「連邦軍もホワイトベースを捨てたりはしませんし、ここにも
 あなたの上官を送るつもりはあります。

 けれど、ヨーロッパでの大きな作戦の予定があります。

 それに、現実に実戦に耐えているあなた方に余分な兵を
 まわせるほど連邦軍は楽ではないのです」


という部分から後々行われる重要資源奪還のための「オデッサ作戦」や各地が
ジオン軍との交戦で余裕が無いことを13話とはまた違った面から描写している。


特にホワイトベースは「V作戦」の説得材料としてレビル将軍直属に、

マチルダ
「ジオンも似たようなものです。それに、今はホワイトベースは
 データー収集が第一の任務になっています」

ブライト
「データー集め?」

マチルダ
「ええ。プロよりアマチュアの方が面白い作戦を考えるものです。
 それをコンピューターの記憶バンクから拾いだす」


としてブライトを少尉として位置づけ、今後のジム増産計画につながるようマチルダは
笑顔で答えながらも、自力で勝ち抜かないと連邦軍は敗北ことを突きつけている。


それに対し、ブライトは勝手だ!と当然の意見を言うのですが、それに対しても、

「レビル将軍がいらっしゃらなければあなたはとっくの昔に死刑ですよ」


と第4話でワッケイン司令が突きつけた軍の最高機密事項であるAAA事項。


つまりホワイトベースやガンダムなどを民間人に使わせたことを突きつけているが、実際にはそれは建前でありどちらにしても勝ち抜かないと連邦軍の勝利はありえないことを、月を背にして見下ろす形で突然やってきたアムロにも釘を刺すように描いている。


しかしガンダムを操縦する肝心のアムロはマチルダのことで頭が一杯であり、フラウ・ボゥにごまかすときや、見送りする際にも有頂天になっていたので、ジオン兵にミデアが襲われそうになったときでも、

「フッ、来なくてもいいものを」


とマチルダからは子供をあしらうように笑われていたのですが、アムロもこの後、生きるか
死ぬかの戦いに翻弄されてしまうので、これもまた彼らの試練なのかもしれません。

時間よ、とまれ!ガンダムへの爆弾設置と解除は何を語っているのか?

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機動戦士ガンダムにおける富野描写の大半は最初にその話で行われる概要のようなものがあり、中に現状や内情と言った裏事情が説明され、最後に概要からつながる展開へと進むので第14話「時間よ、とまれ」はガンダムへの爆弾設置と解除までがテーマである。


このような感覚で富野由悠季氏が自らこだわった描写がふんだんに盛り込まれている。


また今回ジオン軍が使用しているワッパと呼ばれるボバータイプの乗り物は富野氏が「パーソナル・ソーサー」と呼んでおり、戦闘メカ ザブングルでも似たようなホバギーでモビルスーツと同じくらいのウォーカーマシンを倒したり、機動戦士Vガンダムなどでも、

同じように出現するため、こういった生身の人間と対決するシーンが増えるほど、独特の緊迫感や敵からのプレッシャーなど、モビルスーツ戦では感じない部分が戦争へのリアルとして描写されている。


マチルダのミデアが帰還する際にクワラン曹長らが奇襲をかけたために、アムロが先走ってガンダムで応戦するのですが、実際にはまともに対抗出来るのはザク1機だけなので、これらを囮にしながら、作戦を決行することになる。


アムロからすれば、モビルスーツ相手にパーソナル・ソーサーだけなので、

「む、剥き出しの兵が。機関銃ぐらいでガンダムを。
 どういう攻撃をするつもりなんだ?」


と戸惑いを隠せず、本能で人殺しを避けることから攻撃をためらってしまうのですが、クワラン曹長らは当たったら死ぬことから、必死な形相でガンダムが攻撃しづらい足元から装甲の薄そうな場所に、次々と爆弾を貼り付けていく。


この地点でも明らかに人間が不利であるのにクワラン曹長はまるで勝ったかのように、

「こっちは貼り付けた爆弾に当たりゃあいちっころでやっつけられるのによ」


と優位性を示すのも、アムロが人殺しをしないことを見透かされているので、

「お、お前らなめるなよ、馬鹿にするなよ、僕だって」


と持っていたガンダムシールドを振り回し風を起こして対応するのですが、シールドに
設置された爆弾が爆発!そのことで爆弾が仕掛けられたことに気がついてしまう。


またいくつ爆弾をつけられたか?いつ爆発するのか?わからない状態で爆弾に詳しいオムルの指導でプラスチック爆弾についている磁石を無効化しながらアムロが外すことになるのですが、ここでもホワイトベースクルーやジオン兵の立場での描写を描くことで、


爆弾に対するそれぞれの考え方が見え隠れしている点がこの話の見逃せない点である。


このことからブライトとミライはいつ爆発するかわからない爆弾に対し、犠牲者を1人でも少なくするために「我慢するのも勇気」とアムロの手伝いを訴えるフラウ・ボゥに諭すのですが、残り一個が右腕の下についていたことで、それぞれの感情が爆発!

「よ、よし、足と手をちょっと上げるだけなら。あとを頼む」


とブライトが駆け出し、それと同時にリュウやハヤト、カイも涙目で駆け寄るので、クワラン曹長達しか知らない残り時間1分20秒とシンクロするように、視聴者を釘付けにする展開が人としての本音の部分として鮮明に物語っている。


全体を見直すとクワラン曹長達の命がけの戦いという位置づけのように見えて、現実には
命がけはお前達だけではない!と訴えたかった富野描写なのですが、それをケレン味に、

「よう、爆弾をはずした馬鹿ってどんな奴かな?」


と地付きの青年団に扮しワゴンに乗ってからかいにいくシーンがこれまでつなげてきた伏線を生かすように語っているので、悲惨になるかもしれない結果の差が大きいほど、この人を食った感じ描写が敵として生かされており、憎しみの対象になってしまう。


しかし爆弾との恐怖と戦わされた肝心のアムロは、

「いいなあ、地球に住んでる人って。気楽で」


と何事も無かったように疑わないため、本当に言いたかったことは戦争で必死になる以上に、そのことを当たり前のように感じてしまうことを危険視しているのかもしれません。

レクタングル(大)
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