機動戦士ガンダム(ファーストガンダム)第3話から見える人間描写!

敵の補給艦を叩け!」機動戦士ガンダムの第3話の題名であり、当時のロボットアニメの感覚では、補給という概念がそもそも無かったことから、子供心に「補給って基地に戻ってしているんじゃないの?」と疑問に思ったことを今でも覚えている。


しかし現実には追撃したくても、本拠地であるサイド3までは数日かかり、シャアのムサイにはミサイルも残り少なく、戦力であるモビルスーツ(以下MSと呼称)ザクの手持ちはシャア専用ザク以外全滅!と完全にお手上げ状態!


第2話で直属の上司ドズル中将に補給要請したのも、手持ち武器が無いからであり、パプア補給艦と合流する中、ホワイトベースでも食料配給や資源衛星ルナツーに向かう最中にシャアが襲ってこないことから、ミライ・ヤシマの女の勘から、こちらから仕掛けるか?

そんな感覚で相手との駆け引きが富野方式として繰り広げられることから、ガンダムファンはこのようなコアな部分を好んで語りたくなる様子。


またこういった部分から、敵味方双方とも、今後の人間関係に影響が出るような描写として、交錯しているようですので、今回はその見どころをピックアップして分析しましょう。

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目次

・ガンダムにおける敵の補給艦を叩けの「補給」の真の意味とは?
・機動戦士ガンダムの第3話は今後の人間関係を左右する基点だらけ?
・新旧交代劇?旧ザクの百戦錬磨のパイロットとしてガンダムに挑むが。

ガンダムにおける敵の補給艦を叩けの「補給」の真の意味とは?

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機動戦士ガンダムでは、所どころに生活のニオイを大事にしており、富野由悠季氏のこだわりから「そういえばそうゆうこともあるよなあ~」と思えることが丁寧に描写。

またそういったことが当たり前だと思うほど、さらっと流してしまうことから
一度見たくらいでは気づかない、深いこだわりがふんだんに盛り込まれている。


これまでのロボットアニメでは、町が丸ごと破壊されたり、主人公ロボットが破損しても、次の回にはまるで無かったことになっているのですが、ガンダムの世界では、戦争では理不尽に人が死に、破壊されたものは戻ってこない。


逃げ延びていても腹は減るし、攻め続けるほど弾薬とエネルギーは無くなっていくということをリアルに描き、補給が得られないことは、仲間割れ、最悪は暴動や死につながるので、話の冒頭からホワイトベース内で缶詰の配給シーンで生活観を描いている。


特にフラウ・ボゥがアムロとハヤトに制服の着替えを要求したのも、シャアの追撃で風呂も入る暇もなく体臭が酷くなっていることを、アムロ達が戦時下に整備や戦闘への対応をしていることが当たり前である。そんな部分を日常の感覚のズレとして語っている。


またジャアも第2話で3機のザクを要求したのに、ジオン軍の現状は資金難で補給も
ままならないことから、引退寸前の老朽艦であるパプア補給艦にザクがたったの2機。


ドズル中将は「現状を考えるんだ」と諭すものの、シャアの本心では、

「3機のザクを要求してこれか。敵のモビルスーツの性能が皆目わからんのに」


といった内情がそれぞれに渦巻いているため、それぞれの立場での「補給」という
意味合いが深く読み取れるお話では無いでしょうか?


シャアの場合、第2話の地点でスレンダーのザクが1機残っていたのに3機も要求した
からという富野氏の「欲張ってはダメ!」という忠告かもしれませんけどねえ~

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機動戦士ガンダムの第3話は今後の人間関係を左右する基点だらけ?

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機動戦士ガンダムの第3話である「敵の補給艦を叩け!」では、第2話以上に立場や性格からの特徴が描かれており、ガンダムの世界観のベースになるミノフスキー粒子登場よりも、色濃い状態で、今後の関係性に影響されていることが意外と知られていない。


ミノフスキー粒子とは、第3話で戦闘中のモニターに通信妨害となるように、電波や誘導兵器を無効化してしまうことから、相手をよく見ていないと急に攻撃される状況になってしまうのですが、人間関係に置いても同じように相手と調和が取れていないために、


今後のノイズ(妨害物質)として、影響の兆しが出始める部分がヒシヒシと感じられる。


そのためホワイトベースのクルーもそれぞれの性格が影響を来たしており、女の勘でシャアのムサイが攻撃してこないことに疑問を持つミライ。それを疑いながらもレーダーに補給艦らしきものが見えることで、ミライの意見を聞き入れてしまう女に甘いブライト。


女には甘いブライトに対し軽蔑を抱きながらパオロ艦長に今後の意見を求めさせるセイラや何故か柔道のことで例えて、先手を打って補給艦を叩くことに賛成するハヤト。

こんな感じで艦内全員にシャアのムサイを追撃するかを多数決で決めるのですが、ブライトに命令され負けたくないアムロはわざと襟を直しながら、多数決への参加を遅らせる。


こういった形から、寄せ集めで仕方が無く同居する空間での人間関係が交錯するのですが、相手の立場を読まず、エゴイズム(利己主義)から自分の立場で考える部分が、強く反映されてしまうことが、若さゆえの過ちなのか?意地の張り合いとして描写されている。


そういった意味では百選連覇の猛者だが高齢で大尉のガデムがシャアに対し、

「赤い彗星が補給を欲しがるとはな。ドジをやったのか?」


と、たかが20歳の若造が!という感覚でからかっているのですが、シャアとしては
時は一刻を争う状態でなおかつ自分のほうが1つ上の階級である少佐のために、

「ガデム、敵は目の前だ。一刻を争う」


と焦りと苛立ちを見せては、自らザクで補給物資を詰め込んでいるので、こういった部分を丁寧に描いている点が、今後も人間関係としての見どころとして盛り込まれている。


その他、アムロがシャアをガンダムで引き付けておくことをブライトと約束したのに、ミノフスキー粒子の濃さを利用して太陽を背にし、奇襲をかける作戦にしたり、リュウが無線を切っていたことから、小型戦闘機コア・ファイターが邪魔でムサイを狙えないなど、

思いもしない行動からブライトの苛立ちだけが募っていき、それをやんわり注意したことで
また火種となっている
ので、大人になるほど変にのめり込む要因となるのでしょうか?


このときはリュウが仲介に入っているから、あんな惨事にならないのですが・・・

新旧交代劇?旧ザクの百戦錬磨のパイロットとしてガンダムに挑むが

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アムロのガンダムとリュウのコア・ファイターが、アムロの作戦で太陽を背にして回りこみ、シャアのザクを引き付けているうちに、戦艦であるホワイトベースが、ムサイとパプアの間を攻撃して補給を阻止、撃墜するという、常識に反した攻撃をしてきたことから、

さすがのシャアも激しい動揺を隠せないようであり、ガンダムの装甲の固さ以上に
素人の突発的な作戦は全く読めないことから、今後も彼を悩ませることになってしまう。


このことについては富野由悠季氏が今後、演出で使う定番であり、

「観客がおかしいと思いそうなことは、あらかじめ
 登場人物に先に言わせてリアリティを確保する」


と公言していることから、作品を見ているとアムロ達が生き残るのに必死だったのか?


シャアが優秀であるほど、素人の奇抜な作戦と行動がより目立ってしまうことになる。


百選練磨の猛者であるガデムからすれば、そういった部分が認められず、自艦を沈められたことで、本能から逆上してしまい、ザクでも適わないガンダムに、武器も持たない旧世代のザクⅠ型では、気合で対応してもやられるのは目に見えていたはずですが、


歴戦を潜り抜けてきた猛者ほど、引き際が見えず性能さや状況が理解出来ずに死んでいく。


裏事情を言えば、ザクや旧ザクはガンダムのやられメカとしてスポンサーが命じた結果なのですが、旧式が新型にやられることで、次世代への時代を描こうとしており、これが連邦軍の反撃の兆しや、ガンダムに対し、ジオン脅威のメカニズムを生むことになるので、

こういった新旧交代の部分も、歴史における悲しい流れなのかもしれません。

レクタングル(大)
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