機動戦士ガンダムは第一話から富野描写が凄すぎる?計算された構成術

今回のお話でようやく機動戦士ガンダムの第1話に入るわけですが、アニメの作品の中は筆者がこれまで話してきた内容以上に洗練されており、富野由悠季氏がやりたかった映画を意識したようなオムニバス形式をシンプルながらナレーションと映像で駆使している。


また当時のスポンサーの意表から子供を意識しているせいもあってか?見るだけで理解出来る構成になっているのも、大人になって見返すほど、驚かされる点が、機動戦士ガンダムのアニメ技術であり第一話である「ガンダム大地に立つ!!」に全て含まれている。


では実際にどんな部分が秀逸であり、「アニメは子供が見るもの」として認識されて
いた時代に、大人まで魅了され、次世代作品にまで影響して来たのか?

この点を中心に第1話の世界観を分析していきましょう。

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目次

・シンプルなのにナレーションと映像技術が凄すぎる?計算された第1話。
・見るだけで理解出来る?主人公アムロを含めた登場人物の性格と特徴。
・機動戦士ガンダム第一話「ガンダム大地に立つ」でのこだわりと印象。

シンプルなのにナレーションと映像技術が凄すぎる?計算された第1話

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子供時代は正直言って、戦争という感覚を本能で嫌っていたせいもあってか?

機動戦士ガンダムを見ていた当時は、妹が見ているから!という理由と、筆者の時代ではTVは一家に1~2台程度しか無かった貴重品だったために、渋々見ていたという印象のほうが、今でも鮮明に覚えています。


そのため今回の感想のように「ナレーションと映像技術が凄すぎる」と思えたのも、ガンダムファンになって、ある程度、冷静に物事が分析が出来るようになってからであり、

子供ながらに人が死んでいく怖さや、「君は生き残ることが出来るか?」という予告を見るほど、あまりのリアルさにザンボット3同様!好きになれなかったのですが、改めて見直してみると、富野作品の集大成として、第1話は非常に計算されて作成されている。


筆者がこう断言出来るのも「非常に丁寧な構成」で作成されているからである。


基本的に作品の第1話というのは、話の「つかみ」であり、ここを失敗すると次のお話は
見ない!というファンのほうが多かったことから、理解度を高めるために、説明が多く、

テロップなどを使うことが多いと何かしらくどさがあったのですが、ガンダムの場合
その点が他とは違い、最低限のナレーションと映像の見せ方で違和感を無くしている。


そのため説明としてクドくなりやすいナレーションも永井一郎さんの神様的存在を思わせる「天の声」として、地球連邦軍に独立戦争を挑むためにコロニーを落として、ザク一杯量産
して攻めていた!ということを最低限の説明と映像でしっかりと世界観を演出。

この手法は今でも当たり前のように使われていますが、当時のアニメでは約1分で話の前後がわかるものは少なく、つかみとして理解出来ることから、話としてのわかりやすさをしっかりと伝える部分を、富野由悠季氏はかなりのこだわりを持って描写している。


その証拠に、宇宙とか宇宙住居であるスペースコロニーなど、見るだけではどんな空間なのか?わかりづらい部分を、外部と内部で比較させるように見せつけることで、一発で地球とは違う世界!ということを理解させ、宇宙の感覚も静かさの中の鼓動音で表現。


特にサイド7に偵察に入るジオン軍のザク3機の描写も、コロニーとの遠近部分を入れた後に、ザクの顔をアップで撮る。これもまた17.5mと説明すれば済むことですが、

見えいるだけで、何かしらロボットのようなものが侵入していることや、どのくらいの
大きさなのか?子供でも感覚でわかることから、演出自体が秀逸である。


さらに無重力だ!ということを理解させるために、工具のような障害物がザクに当たることで、跳ね返って宇宙へ飛んでいく部分まで再現していることなど、こういった細かい描写を見るだけで感じさせる部分を、作品全体で丁寧に描いていることから、

見れば見るほど、引き込まれていく要因となっているのでは無いでしょうか?

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見るだけで理解出来る?主人公アムロを含めた登場人物の性格と特徴

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機動戦士ガンダムでは富野由悠季氏のさまざまなこだわりにより、見るだけでも理解出来るよう、しっかりとした伏線と描写がされていることから、話を見れば、おおよその背景や登場人物の性格や特徴が描かれていることを意外と知られていない。


表面上はサイド7に侵入したザクのパイロット、ジーン・ポルナレフの暴走により、ガンダムに搭乗した主人公アムロ・レイにビームサーベルで胴体を真っ二つにされ死亡。その後、激怒したデニム・ライダーのザクのコックピットを突き刺し、何とか生き残る。

こういった部分が有名ではあるのですが、それ以上に各場面をサラっと見るだけで大体のキャラ設定が理解出来ることから今でも秀逸された作品と言われるのかもしれません。


第1話で得られる情報から察知出来る登場人物の性格と特徴は以下の通り。


・アムロ・レイ

機械オタクでひきこもり気味という設定を、縞柄のパンツ一丁姿でハンドメイドロボット
ハロ」を改良しているところや、ザク侵入で警報が鳴っていても、全くお構いなしに、
機械いじりに夢中、集中すると周りが見えなくなる性格を演出している。

特に機械に対しては父の影響からか、ガンダムのマニュアルを偶然拾ったときにも
CMが明けたのに、その場でまだ読んでいたのは、さすがにどうかと思えたのですが、

コロニーの退避エリアにたどり着いたのに、爆発の振動から持たないと感じ、軍人である父親に入港の噂があった戦艦に乗せて貰えるように、外へ飛び出し探し出すので単なるオタクというわけでもないことが第一話だけでも理解出来る。


・テム・レイ

主人公アムロ・レイの父親でガンダムを開発した技師で大尉。息子がアムロだ!と言えるのも、ホワイトベース内部で士官候補生として6ヶ月になるブライトと話すシーンで息子の写真を見て「同じぐらいの年齢の子供が少年兵に~」と戦争の悲惨さを語っている。

サイド7でジオン軍のザクが攻めてきても、ガンダムの調整や退避させることに余念が無く、この点からアムロはこの人に似たんだと再認識させられるので、コロニーに穴が開いて行方不明になっても、後々の伏線でアムロの人生に深い関わりを持っている。


ブライト・ノア

第1話では士官候補生で19歳くらいしかわからないのですが、第2話以降に上には従い下にはなめられないように、厳しくしつつ、いい女には甘いという感覚。(筆者の感想)

これもまた経験不足やホワイトベース初代艦長・パオロ・カシアスが第2話で負傷してしまい、正規パイロットの大半が戦死したことで、艦長代理となったことから気負いしすぎての
衝突が多いからなのですが、実直で自分勝手な行動を取るものを嫌悪する様子。


フラウ・ボゥ

アムロ・レイのガールフレンドであり、ザクが侵入してサイド7の状況を見ている際に
食事を差し入れるなど、父親が留守で1人になりがちだったアムロの世話を焼いていた。

それ以降もわかりやすい反応でアムロに嫉妬や世話を焼く行為が目立っている。


これ以上は切りが無いため割愛致しますが、見ていくたびに説明要らずの描写や演出が目立つので、一度見ただけで満足せず、こういった部分を追ってみるのも富野作品を楽しむ意味では面白いと思いますよ。

機動戦士ガンダム第一話「ガンダム大地に立つ」でのこだわりと印象

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機動戦士ガンダムの第一話だけなら、地球連邦軍の新型MSを偵察するため侵入した、ザク3機(スレンダー機はコロニーの外で待機なので実際には2機)が情報を探る予定が手柄を焦ったことで暴挙に出たことから、連邦軍も機密保持のため応戦するのですが、

主人公アムロ・レイがガンダムに乗り込むまでの経緯が実に丁寧であり、矛盾の無い構成と
なっているため、ほとんど疑問点がない状況で第一話を見終えたことが何度もあった。

この理由もさまざまな描写がうまくつなぎ合わせてあるからに他ならず、

・フラウ・ボゥに避難するように言われて車に乗せられコロニーの
 退避エリアへ移動。
・ザクの攻撃で避難エリアが耐え切れないと察し、軍人である親父テム・レイ
 を探し権限で入港していた軍艦に民間人を移動させることを考え外に出る。

・移動中に連邦士官のジープが被弾して爆発!機密事項書類が散乱となり
 人々を助けようとする最中に偶然にガンダムのマニュアルを手にする。
・父に民間人を軍艦に乗せるように交渉するつもりが、親父が研究している
 ガンダムのマニュアルだということに気づき、爆風が吹き荒れる中でCM
 を挟んで夢中になる。

    「おいおい」と突っ込みを入れたくはなりますが
    ガンダムを動かす伏線ですので・・・

・連邦軍の出来る人(パオロ艦長?)が避難エリアは危ないからと軍艦である
 ホワイトベースへ移動させる。このときフラウ・ボゥも外に出て避難した
 ところ、偶然にもアムロと再開する。
・フラウ・ボゥの呼びかけに対し、こんなことをしている場合ではないと
 我に返ったアムロは偶然に父親が避難民よりもガンダムを優先して避難
 させることに激怒!

・父に食ってかかるアムロだが「ホワイトベースに避難しろ」で
 あしらわれ輸送車の調子が悪いので、一旦その場を離れ、ガンダムを
 牽引する車を探しに行く。
・突然消えたアムロを探していたフラウ・ボゥの真後ろで突然爆発!
 これによりフラウ・ボゥの母と祖母が流れ弾により死亡!泣き崩れる
 フラウ・ボゥにアムロが「走れ、走るんだ」で励まし、
 自分はそのままガンダムへ乗り込む!

とガンダムに乗る動機やいきさつが細かく描写されているので、本当に子供向けに作ったのか?30年以上経過した今でも不思議に思えて仕方が無く、この地点でガンダムがまだ動かなかったらどうなっていたのか?この点の突っ込みどころもあるのですが、


コロニーが中破される状態になりながらも、ザク2機を撃破させるのが富野流!


話の内容については一回見たらついていけるというレベルではありませんが、初めて見たときの衝撃は大きく、アムロがジーンのザクを応戦したときに必死になって頭部バルカンで応戦するシーンやビームサーベルで真っ二つになり、コロニーに穴が開くシーンは、

人間が「」という暗闇に吸い込まれていくような印象を受け、静かながらも恐怖心に
駆られる衝動に陥ってしまうことから、最初に見たときは、唖然としてしまい、大人に
なったときには、人は戦争で理不尽なまでに簡単に死んでしまうという部分が恐怖。


結果だけを言えば、アムロの行動は人殺しであり、軍の機密重要を乱用した重罪なので、

何かしらの処置がされてもおかしくないのですが、ここまでの描写から自分達が被害者だという観点で描いているので、さらっと見て納得する以上につじつまを合わせている。


そういった部分が丁寧に描写されていることから、いろんな意味で「黒富野」の計算された
エッセンスがつぎ込まれている部分に、ファンは刺激されるのでは無いでしょうか?

レクタングル(大)
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