劇場版∀ガンダムI地球光II月光蝶は評価あるTV版より酷評な理由

劇場版 ∀(ターンエー)ガンダム I 地球光II 月光蝶はTVアニメ∀ガンダムの放送から
徐々に良い評価が拡散したため「サイマル・ロードショー」方式という日替わりで第1話
から第27話までを I 地球光、第28話から最終話の第50話までをII 月光蝶として、

それぞれを2時間程度に編集しながら新作カットとなっている部分があるようですが、


実際にはTV版のDVDやブルーレイをじっくりと見たほうがいい!という意見が多く、
∀ガンダムに感動して期待したファンからは「何だこれ?」と思える点が多い様子。


では何故、このようなことになってしまっているのか?∀ガンダムの疑問点を
含めながらいろいろと分析していきましょう。

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目次

・∀ガンダム I 地球光 (劇場版)を劇場版で見た感想が何故酷評?
・∀ガンダムの劇場版である月光蝶が分けられて上映された本当の理由。
・シド・ミードのガンダムデザインがヒゲのホワイトドールなった理由。

∀ガンダム I 地球光 (劇場版)を劇場版で見た感想が何故酷評?

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∀ガンダム I 地球光 (劇場版)を見た人の感想を見ると、

・話の展開が早すぎて理解出来ず、TV版を理解していないとわからない。
・初めて見る人が見た場合、余りにも作りが雑で途中から見る気が失せた。
・ラストシーンもサラっと流しているのでTV版を見ていても感動しない。
・ゆったりとした雰囲気だけに話が理解出来ないほど途中で眠くなる。


など酷評の嵐!なのですが、この理由もカットしていい部分が極端に少ないためである。


∀ガンダムの世界観は悲惨な戦争の過去を「黒歴史」として、大いなる未来に対しどう生きるか?を人間ドラマとして描いているので、カットしやすい戦闘シーンも少なく、要所だらけでストーリーも複雑なので、つじつまあわせするほと早足になってしまう。


そのため「∀ガンダムはいいというらしいので、どんなのか?腰を据えて見ようか?


そんな感覚だと酷評な結果となるのですが、これでも従来の映画シリーズの中では、TV版を知ってそういった背景なんだ!という感覚から、賛否両論の意見が出るのだと思える。


特に酷評となるのは以下の部分であろう。(ネタバレになるのでご注意!

・キャラクター1人1人の行動の背景が非常に理解しづらい。
(背景の前後が時間の都合上!バッサリカットされているため)
・主人公ロランが月の民「ムーンレィス」だと明かすシーンがカット。
・ロランが川で水遊びをしていた際に誤って川で溺れ、ハイム家姉妹
 キエルとソシエに助けられるシーンが全裸でなく水着になっている。
・月の女王ディアナが憧れだった男、ウィル・ゲイムの話が全面カット。
(ストーリー上必要無し!と感じたのだろう。アデスカの王なども同様。)
・セリフが一部変更になっているので「あれ違う!」で思い入れ出来ない。
(この点はII 月光蝶も同じ。特に御大将ギム・ギンガナムのセリフは・・)
・中盤に当たる部分がかなり抜け落ちる(これのせいで早足に感じる。)
・キエルの拉致について何故彼女が拉致されたか?一切補足が無い。
・「地球光」終盤で敵として戦ったレット隊が「月光蝶」の
 開幕時は味方として参加している点に説明が一切無い。


人によっては何が酷評なのか?わからない点もあるかもしれませんが、キャラや人間関係の
説明が異常に少ないため、どう考えてもTV版を見たファン向けになっている。


これを富野氏の編集のうまさや∀ガンダムファン向けととらえるのか?それとも不親切で雑な作りととらえるかで、∀ガンダム I 地球光 (劇場版)が評価出来るか、どうかが決まるのでは無いでしょうか?


筆者としては菅野よう子さんが劇場版用に書き下ろした新曲が、かなりイケており
前半の見所である墓参りのシーンとマッチしていると思えるのですが・・・

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∀ガンダムの劇場版である月光蝶が分けられて上映された本当の理由

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∀ガンダムの劇場版は「サイマル・ロードショー」方式という I 地球光とII 月光蝶を1日置きで交代するように上映されたのですが、従来のTV版の編集ものならば、別にこんなことをせず、機動戦士ガンダムのように単体上映でもいいのでは?

そんな疑問点が生じてしまうのですが、この理由も一晩置くほど∀ガンダム II 月光蝶の見方が変わるため、あえてこの方法を取り入れたのだと思えてくる。


この理由も∀ガンダム II 月光蝶の展開が I 地球光を見ていないと理解出来ないためです。


∀ガンダム I 地球光でもお話しましたように、∀ガンダムは人間ドラマを主体として複雑な人間関係が多い割に、カットしやすい戦闘シーンが主人公ロランの平和的温厚主義であることから、2時間に収めるには泣く泣くカットしないといけない部分が多いために、

話のつじつまを合わせるには無駄な言い回しや時間がかかるシーンはカットされていく。


そのため初めて∀ガンダム II 月光蝶を見ると、いきなり展開が始まっては、新しい展開についていけず、詳細を理解しないまま「何じゃこれ??」となるため、 I 地球光を見た翌日に見る設定として、わざと「サイマル・ロードショー」方式にしている。


これも人間の記憶は眠ると定着されることや、1日置いて再度同じものを見ると鮮明に描いていたものを引き出そうとする力があることから、こういった心理的要素を劇場版制作で伝え切れなかった部分を補おう!としているに他ならない。


それでもどちらも冒頭の5分は圧巻の一言!であり、何故こんな演出が?と思えても中盤ではそれが理解出来ることや、エンドロールの演出に癒されることは間違いない。


もしあなたがTV版を見るには今では視聴にお金がかかるし、それ以外で理解したいのですけど!という場合はハルキ・ノベルスのノベライズ小説や小説版∀ガンダム(1~5巻)などで予習して見るといいのかもしれません。


ただし∀ガンダム II 月光蝶に関してはTV版でファンになった筆者でも、「ええ~そのシーンカットなの?」と思える感動シーンが抜け落ちすぎており、月の女王ディアナの存在意義が無いなどテンポが異様に速すぎるため、冨野氏が劇場版イデオンで語っていた、

起承転結の「承」が無いため0点であり、力ずくで終わらせた。


という感覚に似ており、本作品においては人間ドラマがメインなはずであるのに、何故この人たちは争っているのか?理解に苦しむ点があまりにも多すぎるため、この点を予備知識や想像で補うことが出来ない限り、絶賛までいかないのが真実なのでしょう。

シド・ミードのガンダムデザインがヒゲのホワイトドールなった理由

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今までガンダムシリーズを見てきた中で、最も疑問となる部分がシド・ミード氏が∀ガンダムのデザインをガンダムファンに酷評を受けるようなデザインにしてしまったのか?


この点がファンで無くとも「何故あんなにカッコ悪いの?」気になる人もいるはず!


富野由悠季氏の思考ではこれまでのガンダムの世界観をぶち壊し、先入観のない工業的なデザイン、つまり、実際に人の生活の中で大型機械が関わる以上!その時代の文化や尊敬されるものを主体に実際に生産する上で作りやすい構造にするはず。

そういった思考で作れることを条件にしているので、当時、工業デザイン家としても実力があり、機動戦士Zガンダムでいろいろと携わっていたシド・ミード氏が適任となったことから、∀ガンダムのデザインを担当することになりました。


このような流れから「機能的なアイディアが70%にファンタジーとユーモアを30%」という独創的なデザインである∀ガンダムは実に機能的な構造となっており、上半身はがらんどうの胸を中心にブロック上に積み上げる方式と表面に装甲を貼り付ける感覚とかなり実用的。


またコックピットも目視でも周りが見通しやすいように腰部分にしてあり、いざというときに脱出出来るようふんどし型の小型戦闘機コア・ファイターに変形。その他、足全体がスラスターと呼ばれる空を飛ぶための機構となっているので機能として全て理にかなっている。


ただ腑に落ちないのが∀ガンダムの呼称である「ヒゲ」と呼ばれるアンテナの部分。


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劇中でも「ヒゲが~」とか「ヒゲのモビルスーツ」などで決してガンダムとは呼ばれず、ホワイトドール像から出てきた守り神として白い色からホワイトドールとか機械人形という表現が多かったのですが、シド・ミード氏がヒゲをつけた理由もある人が主な原因。


それが「宇宙大帝ゴットシグマ」メカニックデザイン村上克司さんのアドバイスである。


シド・ミード氏は今でも世界的な工業デザイナーであるのですが、当時でも日本のロボットアニメでの経験は8つくらいのデザインをした程度と乏しく、自分のデザインは本当に受け入れられるのか?内心心配していたくらい慎重に検討したらしい。


それならば以前のガンダム作品を見ればいい!と思われがちですが、∀ガンダムが目指すテーマが「全てのものを否定して肯定する」という過去を見直し未来を生きることがテーマのため、全く違うものを制作しなくてはいけないため、作成は難航を極めた様子。


肝心のヒゲに関しては、ホワイトドールが神や王の象徴ということを考えると、シド・ミード氏の逆「」の字型のカイゼル髭を皇帝がしていた光景として銅像にも残っていることから、ホワイトドール像での成人式の話のつじつま合わせであのヒゲとなったのですが、


このデザインで大丈夫か?と不安であり、友人だった村上克司さんに相談したところ、

「大丈夫、まったく問題ない。俺にもこういうのがある」


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と巨大なヒゲを生やしているように見えるゴットシグマの顔を見せてしまったせいで、

「あのヒゲはブーメランになるんだ!」とか「いつかヒゲが額について真の姿を・・
などファンの不安を無駄に煽ってしまったのです。


若干長い解説になりましたが、最初に毛嫌いしていたファンも奥行きのある世界観から
のストーリ展開やホワイトドールが洗濯しているシーン。


神回とファンでは噂されている第8話「ローラの牛」での活躍など、これまでのガンダムとは違う面々が魅力的なため、こんなガンダムがあってもいいのでは無いでしょうか?

レクタングル(大)
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